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大阪・兵庫16 知章(ともあきら)~須坂の名馬登場~

 〈あらすじ〉旅僧が須磨の浦に通りかかると、「物故平知章」と書いた新しい卒塔婆があったので読経する。折から来た若者に尋ねると、「今日は一の谷の合戦で討ち死にした知章の命日」と答え、合戦で平家が敗れ、総大将の知盛が逃げ延びた様子などを語り、「自分は一門の者」と言って消える。

 僧が読経を続けていると、盛装した知章が現れる。「郎党の監物太郎と討ち死にした場面を再現し、弔ってほしい」と言って海に消える。

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 知章は清盛の四男である知盛の嫡男。一の谷で奮戦した様子は、平家物語「濱軍の事」に詳しく、この謡曲はそれを脚色した。

 物語を要約すると―。知章は父に従って16歳で出陣した。一の谷の合戦で平家は義経の奇襲に遭って総崩れとなり、知盛父子と監物の3人が渚(なぎさ)に追い詰められた。知章は総大将の父を逃すため、堅物と踏みとどまり、壮絶な最期を遂げた。

 知盛は名馬・井上黒にまたがって、海上の味方の舟を目指し、黒は約2キロの海を無事泳ぎ切った。が、舟には馬を乗せる隙間がなく、仕方なく海に放たれた。黒はしばらく舟を追った後、渚に戻り、高くいなないて、知盛に別れを告げた。知盛は息子を見殺しにした己を責め、さめざめと泣くのだった。

 舞台の渚は、神戸市長田区の須磨の浦。神戸高速鉄道の「高速長田」駅で下車してすぐ。一帯は今、陸地で商店街となっており、その西に流れる苅藻川の土手下に、知章の墓碑がある。傍らに付近で相討ちで果てた平通盛と木村源吾(源氏方)の碑などもあり、一角を「源平勇士の墓」と名付けて祭ってある。

 郎党の監物の墓は、神戸村野工業高校のグラウンドを挟んで路地裏にあった。こちらは小さな祠(ほこら)で、時代ははっきりしないが、監物の忠節を讃(たた)えて、地元の人たちが建てた。知章の墓碑よりも古く、人気があるという。

 井上黒は信濃国の井上氏から朝廷に献上された黒毛の馬。後白河法皇から平家に賜り、知盛が世話をしていた。井上氏は当時、今の須坂市井上地方を統治していた武将で、山城や館跡、墳墓などの遺跡がある。その井上に隣接する上八町地区に霧原大元(おおもと)神社がある。周辺はかつて「霧原の里」と呼ばれた高原で、黒はここの牧場の産との見方が強い。

 同神社は長野市方面から車だと、長野須坂インターから数分。こぢんまりした質素な神社だが、何か物足りない。信濃の霧(桐)原の牧は、都人(みやこびと)の憧れの牧であり、多くの古歌に詠まれてきた。黒はそこで産まれ育った天下の名馬だ。これまで各地で軍馬、神馬の銅像を見てきたが、地域起こしのためにも、この地にこそ「黒の雄姿」がほしいと思う。 
(2014年5月3日号掲載)

=写真=神戸市長田区にある知章の墓碑
 
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