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25 聖火が長野へ ~オリンピアで採火式 7千人が運び継ぐ~

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 1997(平成9)年12月17日、ギリシャで長野五輪の聖火を採るため、長野冬季オリンピック組織委員会(NAOC)の公式採火団が成田空港からチャーター便で出発しました。NAOCが募集したボランティアなど344人の皆さんが同行し、私が団長を務めました。

 夜遅くアテネ空港に到着。翌18日早朝、古代オリンピック発祥の地・オリンピアへ向かい、ギリシャオリンピック委員会のニコラウ会長の案内で、翌日行う採火式のリハーサルに参加しました。会長は五輪発祥地の自負があるのか、段取りについて厳しいことを言われるので少し心配になりました。

 国内3ルート巡る
 19日は正午から、古代遺跡のヘラ神殿前で採火式が行われました。西洋の巫女(みこ)装束をまとった女性たちが石柱の向こうから現れ、厳かに儀式を進めました。本来なら、太陽光を金属製の凹面鏡で集めて採火するのですが、小雨がぱらつく天気だったため、数日前に採っておいた火種を使いました。冬季五輪の採火ではよくあることのようで、札幌やリレハンメルも同じだったそうです。

 採火した聖火はクーベルタン男爵の記念碑前でトーチにともされ、ギリシャの国内リレーがスタートしました。聖火は夕方、ナチスへのレジスタンスの地、カラブリタに到着、町を挙げての歓迎を受けました。

 その後、聖火はアテネに運ばれ、22日にアテネ空港で引き渡し式を行いました。私は数十人の儀仗(ぎじょう)兵が整列する中を聖火を移したカンテラを掲げて飛行機に乗り込み、輸送用のカイロに火を移して成田空港に持ち帰りました。その足で首相官邸を訪ね、橋本龍太郎総理に聖火を披露しました。

 日本での聖火リレーは98年1月6日、北海道(東日本ルート)、鹿児島(西日本・太平洋ルート)、沖縄(西日本・日本海ルート)の3地点からスタートし、全国を駆け巡りました。

 私は市役所の仕事始めの挨拶で職員に「今年はカマキリが高いところに巣を作っているから、必ず雪は降るので安心して万全の準備をするように」と話し、北海道の出発式に立ち会うため5日に札幌へ飛びました。翌朝5時ごろ、テレビニュースで「五輪が行われる長野市に待望の雪が降ってきた」と報じているのを見て一安心でした。出発式では、札幌五輪ジャンプ競技の銀メダリスト・金野昭次さんが第1走者となってリレーがスタートし、沿道からも大声援を受けました。

 人で埋まった到着式
 長野県内のリレーは23日から各市町村を隈なく回って2月5日、長野市に到着。翌6日には市内26地区を巡り、夕方からセントラルスクゥエアで聖火到着式を開催しました。クリスティー・ヤマグチさん(アルベールビル五輪フィギュア)、中村昌枝さん(東京五輪バレーボール)、恵本裕子さん(アトランタ五輪柔道)の3人の女子金メダリストから、NAOCの斎藤英四郎会長、副会長の吉村午良知事と私の手にそれぞれのトーチが渡され、その火をIOCのサマランチ会長のトーチに移し、ここで国内3ルートの聖火は一つになりました。

 遠くギリシャを出発し、全都道府県の1150区間と県内を合わせ、総勢約7千人のランナーによって運び継がれてきた火です。到着式会場は人で埋まり、中央通りまであふれて大変な熱気でした。
(2014年5月3日号掲載)

=写真=オリンピック発祥の地で行われた聖火採火式
 
塚田佐さん