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037 飯山街道 関田峠 ~高田瞽女の足跡をたどる~

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 夏も近づく八十八夜の5月2日、盲目の女旅芸人・高田瞽女の足跡をたどり、新潟県妙高市新井から関田峠(1111メートル)を越え、飯山市温井(ぬくい)まで歩く。高田瞽女は昭和39年(1964)まで、決まった日に関田山脈を越え、飯山市各地区の決まった宿でその芸を演じていた。

 JR信越線新井駅で降り、バスに乗り換えて上関田で下車する。バス停の前に、昨年の春まで瞽女宿「裏峰(うらみね)」があった。今は大きな杉に囲まれた屋敷の跡に残された2体の石仏が、往時の姿を伝えている。

 近くに住む樋口真二さん(77)は「毎年秋には、裏峰さんの広い座敷に村人が50人ほど集まり、瞽女さんの芸に興じ、楽しい一夜を過ごした」と約50年前の思い出を語った。

 上関田は江戸時代に高田藩の関所が置かれ、関田山脈、関田峠の名の由来ともなった交通の要所である。地区中央に古い地蔵菩薩(ぼさつ)が立ち並ぶが、瞽女たちは道中の無事を祈って出発したという。私もそれに倣い、般若心経を奉誦して関田峠へ向かう。

 雪解け水の滔々とした瀬音を耳に、除雪された広い坂道を上る。間もなく大型送電線と交わり小休止。高田平野は、五月晴れの恵みを受けて北に大きく開けている。

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 ここから峠までは約8キロの曲がり坂の連続で、ゆっくりと足を運ぶ。約2時間で台地状の光ケ原(ひかりがはら)への入り口だ。親鸞は、越後と関東との度々の往来にこの峠道を歩いた。この地で野宿した時に、一帯が光り輝き、夜も明るかったので、光ケ原と名付けたと伝えられる。大休止して、かつて往来した上杉謙信の軍勢や善光寺参り、野沢温泉への旅人たちに思いをはせる。

 この地は昭和40年から車道の整備が進み、光ケ原牧場が開かれた。今は、高原センターが建つ光ケ原森林公園に姿を変えている。

 鍋倉山(1289メートル)をはじめ残雪の関田の山並みに向き合い、ひたすら先へ進む。1時間余で冬期休業中のグリーンパル光原(こうげん)荘に到着。ただ一人の残雪世界で昼餉(ひるげ)を楽しむ。

 ここから峠までは残雪1.5メートルの雪道で、強行突破を断念し、恨みをのんで引き返す。

 翌5月3日、JR飯山線上境駅で降り、温井まで5キロの道をひたすら上る。90分ほどで大応寺(だいおうじ)に到着。現在は無住であるが、かつて瞽女宿であった。最後の大槻正雄住職は、村人に親しまれるとともに、瞽女たちを手厚くもてなしていた。毎年秋には、その遺徳をしのんで例祭が続けられている。

 2日続きの五月晴れに感謝し、飯山みゆき野を下って帰途に就いた。次回は関田山脈の牧峠を歩く。
(2014年5月17日号掲載)

=写真=かつては瞽女宿だった飯山市の大応寺
 
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