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72 省けん録最後の一文 ~象山の一生を35文字で~

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 佐久間象山といえば、この詩文=写真=を思い起こす。35文字の文で、象山の名著「省けん録」の最後の一文である。

 余年二十以後乃(すなわち)知匹夫有繋一國(松代藩)三十以後乃知有繋天下(日本国)四十以後乃知有繋五世界

 象山の一生を最もよく語る文章だ。
 掛け軸は篠ノ井在住の北田圭枝(たまえ)さん(74)が所蔵。北田さんによると、夫の正宏さん(故人)の生家を解体する際、祖父が収集した書画骨董(こっとう)類の中から見つかり、表具をした。調べてみると、象山の真筆には違いないものの、お土産用の工芸品。当時、随分と出回ったらしい。

 北田家の先祖は松代藩出身で、勘定奉行配下。象山宅のそばに住んでおり、象山が馬で出掛ける風景を息子たちに言い伝えていた。北田さんも象山の事績を勉強している。

 松代出身の飯島忠夫文学博士は、「省けん録衍義(せいけんろくえんぎ)」の中で、この文章を次のように解説する。

 二十以後、松代藩を起こすも枯らすも、自分の責任だと思い、その精神で江戸へ学問修行に出て、藩に帰ってからは学校を経営。子弟を教育した。1837(天保8)年の凶作で藩の民が食物に事欠き、困窮した際には、藩庫を開いて施す方策など、奔走した。

 三十以後は天下の形勢が危ういのを見て取り、海岸防御を深く研究。子弟を教育し、幕府に建白。日本を引き受けたとの思いで、事に当たった。

 四十以後はもう一つ越えて、西洋の学術を日本に取り入れ、東洋道徳、西洋芸術を結合して、日本を世界の中心として世界に雄飛しようとした。

 省けん録とは、過ちを省みる記録の意味で、象山が44歳の時、江戸の獄中で作成した漢文、漢詩や和歌を集めたものだ。五十七条から成り、いわば象山の獄中記だ。
(2014年5月17日号掲載)
 
象山余聞