
長野オリンピックの開催期間中、スケートなどの室内競技は順調に進みましたが、白馬村では雪が降り続き、大雪のため男子大回転などの競技が3日続けて延期となり、大変やきもきしました。
閉会式までにできなければ違約金を取られるとかで、私は地元安茂里の朝日山観音に「雪はもうよいので、何とか天気にしてください」とお参りしました。困ったときの神頼みのおかげもあってか、5日目に男子滑降や複合滑降競技ができて胸をなで下ろしました。
私服警官増やし対応
当時の国連大使からお聞きした後日談ですが、米国での放映権を持つCBSテレビがスキー競技延期のため、やむなく善光寺や地獄谷のお猿の入浴風景、北アルプスの山並みなどを放映しました。それがちょうど夕方のゴールデンタイムだったため、大勢の米国人が見て「オリンピックの長野は素晴らしい所だ」と、かえって評判になったそうです。
中央通り沿いのセントラルスクゥエアに設けた表彰式会場は最初、観客はそんなに来ないだろうと思っていました。あまり少なくては気勢が上がらないので、区長さんたちに地元から動員をお願いしておいたところ、初日から大勢の皆さんが詰めかけ「会場に入れない」と苦情が出るほどでした。
表彰式はその後も連日、大盛況でしたね。特に岡部孝信、斎藤浩哉、原田雅彦、船木和喜各選手によるスキージャンプの男子ラージヒル団体金メダル授与式のときは、会場から中央通りへあふれる人、人、人の波でした。私も駆けつけたところ中へ入れず、選手入場口からやっと入れてもらいました。
後で長野中央署の署長さんからお聞きしましたが、会場内の安全確保のために私服警察官を何人か配置したが、あまりの人混みで急きょ人数を増やして対応したそうです。各方面でひとかたならぬご苦労があったことに感謝し、事故がなくてよかったと思っています。
長野五輪ではドイツが29個、ノルウェーが25個、ロシアが18個のメダルを獲得。日本は金5、銀1、銅4の計10個で冬季五輪史上最多、現在でもトップの記録です。
ホワイトリングでのフィギュア女子シングル決勝は人気が高く大勢の観客が詰めかけ、私も観戦しました。前評判の高かったミシェル・クワン選手は惜しくも2位となり、15歳の新星タラ・リピンスキー選手が見事、金メダルを獲得しました。日本の荒川静香選手は残念ながら13位でした。
チェコで「長野」命名
女子シングルの観戦には、サマランチ会長をはじめとするIOCメンバーや竹下登元首相ご夫妻、それに米国のゴア副大統領夫人も子どもさんと来られ、あいさつをしました。
アイスホッケー男子決勝はビッグハットで行われ、チェコスロバキアがロシアを1―0で破り、五輪初優勝を果たしました。チェコチームが首都プラハに(凱)(がい)(旋)(せん)したときは、空港に10万人が迎えに出た―と報じられました。
後日、チェコチームのホームタウンであるプラハ近郊都市の市長さんから私宛てに手紙が届き、市が再開発中の建物にチェコスロバキアのオリンピック初優勝を記念し「NAGANO」と命名したいので許可してほしい―とのことでした。私は早速、「どうぞお使いください」と返事を出しました。
(2014年5月31日号掲載)
=写真=日本が優勝したジャンプ団体の表彰式は中央通りも人の波(信濃毎日新聞社提供)