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30 五輪を終えて ~NASLが自転車で 米へメッセージ運ぶ~

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 長野五輪の閉会式翌日のことです。IOC(国際オリンピック委員会)のサマランチ会長から連絡があり、ホテル国際21内に設置されていたIOC本部事務室を訪ねました。そこで「開催都市・長野の皆さんに感謝の気持ちを込めて彫刻の贈り物をしたい。どれがよいか選んでください」と、会長から10枚ほどの写真を見せられました。

 私はその中から、オリンピック旗を5人で支えている彫刻を選びました。スイス・ローザンヌのレマン湖畔にあるオリンピックミュージアム正面に野外展示されている作品です。制作者はスイスの著名な彫刻家、ナグ・アーノルディさんです。長野五輪開幕1年後に当たる1999(平成11)年2月7日、エムウェーブの正面に設置して除幕式を行いました。

長野の子どもを招待
 サマランチ会長からは「『一校一国運動』で各国との親善交流に努めた長野の子どもたちの代表15人をIOC本部のあるローザンヌに招待したい」という申し出もありました。後日、子どもたちの代表が訪問旅行をし、見聞を広げることができました。

 ほかにも、会長からは「史上最高の大会だった」と絶賛され、大会関係者と大勢のボランティアの皆さんを含む「長野の人びと」に、クーベルタン男爵の創設によるオリンピック・カップが贈呈されました。さらにNAOC(長野オリンピック組織委員会)の斎藤英四郎会長には金色の、私も含め4人の副会長と事務総長には銀色のオリンピックオーダーが授与されました。

 長野五輪では、前回のリレハンメル五輪閉会式で出発した犬ぞり隊が北極圏を走破して運んだ「環境メッセージ」を受け取りました。リレハンメル市長から長野市長に宛てたものです。長野市からは次回開催都市・ソルトレークシティーへ、倉嶋康さんを団長とするNASL(ナッスル)国際環境使節団を派遣し、「平和・環境・子どもたちのメッセージ」を届けてもらうことにしました。

 使節団は98年3月12日、「化石燃料は一切使わない」として、今井のオリンピック選手村を自転車で出発。太平洋横断は運輸省にお願いして練習帆船の海王丸に乗せてもらい、サンフランシスコに入港。アメリカ大陸は再び自転車で山脈を越え、砂漠を走破し、大変なご苦労の末に2000年7月24日、無事ソルトレークシティーに到着しました。

 最終行程は私も合流し、冒険好きのソルトレーク市民から大歓迎を受けました。市庁舎でアンダーソン市長に私からのメッセージを届けることができ、NASLの皆さんには感謝しています。

市長会議でアピール
 五輪開幕翌日には、長野市独自の取り組みとして、市内で「冬季オリンピック開催都市市長会議」も開催しました。ソルトレークをはじめ、カルガリー(カナダ)、アルベールビル(フランス)、リレハンメル(ノルウェー)、札幌、それにオブザーバーとしてオリンピア(ギリシャ)の市長さんが参加。長野市の姉妹都市であるクリアウオーター(米国)、友好都市の石家荘市(中国)、飯綱高原でのミュージックフェスティバルで提携しているアスペン(米国)の市長さんも招待しました。

 討論の結果、「冬季オリンピック開催都市宣言」を決議。「平和の祭典」の意義や長野五輪の基本理念と3目標、環境保全などを世界にアピールし、宣言文をサマランチ会長にお渡ししました。
(2014年6月14日号掲載)

=写真=ゴール目前、私(左)も合流。右はソルトレーク市長
 
塚田佐さん