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31 パラリンピック ~欧州以外で冬初開催 素晴らしさが世界へ~

 障害者スポーツの世界大会であるパラリンピックが、五輪の際に行われるようになったのは1960(昭和35)年ローマでの夏季大会からで、第2回夏季大会は64年の東京でした。

 冬季大会は76(昭和51)年のインスブルック(オーストリア)の時が最初です。5競技で行うようになったのは94(平成6)年のリレハンメル(ノルウェー)からで、長野冬季パラリンピックは欧州以外で初の大会でした。

 IPC(国際パラリンピック委員会)からの開催要請を受け、NAPOC(長野パラリンピック冬季競技大会組織委員会)が設立されたのは93年11月です。

32カ国が参加
 小泉純一郎厚生大臣が名誉会長に、吉村午良県知事が会長に就任。副会長は長野市長の私と、北郷勲夫日本身体障害者スポーツ協会長、湯本安正県社会福祉協議会長が就き、県の社会部長を務めた樋口太郎さんが事務総長で準備を進めました。

 94年3月、私は閉会式でIPC旗を引き継ぐために、リレハンメル冬季パラリンピックに出掛け、視察して回りました。迫力あるアルペンスキーやアイススレッジスピードレース、アイススレッジホッケーなどの競技で、障害を克服した選手たちの活躍は素晴らしく、感動しました。

 リレハンメル大会で正式に決まったパラリンピック旗をしっかり受け取り、長野へ持ち帰って大勢の皆さんと市内をパレードし、盛り上がりました。長野市は障害者にやさしい住みよい街づくりを進めており、パラリンピックを契機に身障者福祉をはじめ道路、公共施設整備などの取り組みを一層強化しました。

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 長野冬季パラリンピックの開催は、98年3月5日から14日までの10日間です。参加したのは32カ国で、初参加はアルメニア、イラン、キルギスタン、スロベニア、南アフリカ、ウクライナの6カ国でした。1146人の選手・役員で5競技34種目を行い、約3200人のボランティアに協力していただきました。

 久石譲さんが総合プロデューサーを務めたエムウェーブでの開会式は「希望」と「聖火」がテーマです。野沢温泉の道祖神祭りをイメージした内容で、火を使うため消防局は最初、難しいとしていましたが、何とかクリアして実施しました。ファンファーレとともに万雷の拍手を受けて各国選手団が入場行進。NAPOC名誉総裁の皇太子殿下から力強い開会宣言をいただきました。

 翌6日、皇太子殿下と雅子妃殿下は野沢温泉村でバイアスロン競 技をご覧になりました。視覚障害者の部で金メダルを獲得した小林深雪選手の健闘に、私も目頭が熱くなりました。

 皇后さまもウエーブ
 11日には、天皇皇后両陛下がエムウェーブでアイススレッジスピードレースを観戦されました。その時、日本選手の大活躍に対して場内からウエーブが起こり、皇后陛下も思わず加わって大歓声が湧き上がりました。大変、感動的な場面でしたね。

 14日夜の閉会式は、エムウェーブで「Hope and Legacy 希望と遺産」をテーマに行われました。全力を尽くした選手たちの和やかな入場に続いて竜神の舞などにぎやかな踊りがあり、IPC旗を私から次期開催都市のソルトレーク市長に手渡して幕を閉じました。障害者スポーツの素晴らしさが国内はむろん世界に伝わり、大変意義のある大会でした。
(2014年6月21日号掲載)

=写真=米国の歌手スーザン・オズボーンさんも出演、にぎやかに行われた閉会式(信濃毎日新聞社提供)
 
塚田佐さん