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38 飯山街道 牧峠 ~瞽女「最後の足跡」を歩く~

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 いのちの力が満つる小満の5月21日、高田瞽女の最後の親方、杉本キクイの信濃への旅の跡をたどる。

 朝早くJR信越線高田駅で降り東へ向かう。まもなく東本町4丁目で、杉本親方の旧宅に着く。昭和45(1970)年に人間国宝となった親方は、養女シズ、手引きの難波コトミとここに住み、瞽女の伝統を守っていた。

 詩人の野原未知さんは「今年もごぜの姉さんたちはほんとうに寒かろうねえ 三味(しゃみ)をつま弾くあの人達は今もその音色を響かせているだろうか」と、近くに住んだ祖母から聞き取った幼時のことを詩に詠んでいる。3人の巡業は昭和39年秋で終止符を打った。その足跡を歩く。

 関川を稲田橋で渡り、牧峠(標高970メートル)を目指す。2時間ほどで、旅の第1夜を過ごした十二ノ木の瞽女宿「池田」だ。さらに緩やかな坂をひたすら上り、宇津の俣峠への分岐で大休止。

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 急な道を1時間ほど上ると、上牧地区に着く。ここは難波コトミの出身地で、実家に住む甥の難波新市さん(80)は「冬に東本町の杉本家まで父と雪下ろしに行った」と、往時を懐かしんだ。

 除雪された曲がり坂を上り、牧峠越えにかかる。約2時間で、石地蔵の立つ八方の風穴に到着。ここは峠手前の休み場で、岩の間からの冷風が旅人を喜ばせていた。

 関田の山並みをアララギ派の歌人、土田耕平は「きはだちてふかきみねとてあらなくに この地のちがたわれは親しむ」と詠じているが、行く手は2メートル近い雪道で、稜線はいまだ冬の中である。北の米山薬師に般若心経を奉誦して、残念を胸に引き返す。

 翌22日、JR飯山線上桑名川駅で降り、4キロ先の羽広山地区を目指す。出川沿いの坂を、田植えを待つ蛙の鳴き声と雪解け水の瀬音のシンフォニーを耳に、ひたすら上る。展望が開け関田の山並みが目に入ると羽広山だ。

 牧峠を背にした瞽女宿「がんざ」に到着。杉本親方は「牧峠は深く険しい峠で、川に落ちる」と語っているが、峠を越えた瞽女たちは麓の土倉を経てここに旅装を解いた。今は亡き当主の江口経雄さんは「春秋2回、家に泊まり、夜は芸を演じていた」と語っていたという。

 東西90キロに連なり、16の峠を抱える関田山脈は、遅い春を迎えようとしていた。信越の交流に大きな役目を果たした山並みに、般若心経を奉誦して納めとした。次回は栄村の志久見古道を歩く。
(2014年6月14日号掲載)

=写真=羽広山の瞽女宿「がんざ」
 
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