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045 イスタンブール ドルマバフチェ宮殿 ~「建国の父」急死のベッドも~

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 舌をかみそうな名の「ドルマバフチェ宮殿」は「埋め立てられた庭園」が語源である。1853年に、スルタンのアブドゥル・メジド1世がトプカプ宮殿から逃げるように建てた。伝統的な建物が多いトルコでは比較的新しい。もともとあった王宮庭園の場所だ。

 ここは、宮殿主催のガイド付きツアーでないと、見学できない。各国要人を迎える際に今も使われるためだ。部屋数285、広間だけでも46、トイレは何と68もある。ボスポラス海峡に沿って、宮殿の面積は4万5千平方メートルにも達する。

 1、2階を結ぶメーン階段の手すりの欄干部分にクリスタルが施されるなど、息をのむような豪華で重厚な品の数々だ。黄金の天井がある外国大使の公式な歓迎を行う赤の間など、その権威をいやが応でも実感させられる豪華さである。

 特筆すべき二つの部屋に触れよう。まずは広さ2千平方㍍、高さ36メートルの円蓋(えんがい)の天井画がある大使の間。中心にあるのは重さ4.5トンのクリスタル製シャンデリア。電球数だけで750個に及ぶ。英ビクトリア女王から贈られた。私がこれまでに見た中で間違いなく最大だ。

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 もう一つは寝室のある私室。ベッドにトルコ国旗が巻かれている。「建国の父」のケマル・アタチュルク(1881~1938年)が執務中に急死したベッドなのだ。近代国家としての骨格と理想を築いた初代大統領で、トルコの東西分裂危機にあって、統一を成し遂げた。

 ヨーロッパ列強による争奪戦の舞台になり、第1次大戦で英仏などの連合軍を相手にした領土分断の危機に、独立国として自立させたのが彼である。若いころ、フランス革命に憧れ、近代化を推し進め、イスラム世界の中にあって政教分離を実現させた指導者。アタチュルクとは、建国の父という代名詞だ。

 今日、紙幣=写真下=など、様々な印刷物や土産物などにその顔が登場する。「トルコでアタチュルクの悪口を言うな」は旅行者の心得だ。いわゆる独裁者ではない彼は、私にはアメリカの第16代大統領のリンカーンと二重映しになる。

 アタチュルクは1938年11月10日午前9時5分に急逝した。それ故、この宮殿の時計はことごとく、この時刻で停止している。
(2014年6月14日号掲載)

=写真=1853年に建てられたドルマバフチェ宮殿
 
ヨーロッパ美の旅