
多くの皆さまからご支援をいただき、市長選で初当選を果たした私は1985(昭和60)年11月11日、49歳で長野市長に就任しました。
初登庁するまでに、早朝の自宅前から始まり数カ所で歓迎と激励を受けました。市役所では議長さんはじめ、大勢の市民、職員の皆さんに出迎えていただき、初めて市長の椅子に座り感無量でした。
私はそれまで勤めの経験がなかったので、毎日定時に出勤することに多少の不安がありました。健康管理はしっかりやらねばと思い、たばこは学生時代にやめていましたが、強くない飲酒も控えるようにしました。
勝海舟と孔子に学ぶ
市会議員のとき、支持者宅で開いた後援会の会合で茶わん酒を飲み過ぎて寝てしまい、目が覚めたら午前3時ころで慌てて帰った失敗もあります。それ以来、自重してきました。
市長は36万市民の代表です。全ての市民に公平・公正な市政を行うと誓いました。そして背伸びをせず、あるがままの自分の持ち味で臨むことにしました。ガラス張りの市政を、滅私奉公の精神で全力投球する決意です。
勝海舟は「氷川清話」に「政治家の秘訣(ひけつ)は、ほかに何もない。ただただ正心誠意の四字ばかりだ。この四字に拠(よ)りてやりさえすれば、たとえいかなる人民でも、これに信服しない者はない筈(はず)だ」と記しています。
また、孔子は政治の要諦について尋ねられ、「近き者説(よろこ)び、遠き者来(きた)る」と答えています。市民が住みよいと喜び、そのうわさを聞き、遠くの者が住みたいとか観光でやって来る―そういう街づくりですね。「近者説、遠者来」の六字を「正心誠意」の四字と併せ、私の基本姿勢としました。
就任後、まず職員の士気高揚を図り、持てる能力を十分発揮して、やる気を出してもらうことを心がけました。職員には、あいさつ運動を通じて明るい雰囲気の職場にし、ぬるま湯行政を脱却してメリハリのある積極的市政に転換するよう訴えました。「熟慮・決断・実行」の躍動感のある市政を目指すので、協力してもらいたい。最終責任は私が取るので、安心して市民のための市政を展開するよう、強く求めました。
過去に8年間、市会議員をしていたので、管理職の皆さんとは顔見知りでした。それ以外の若手職員に自分の方針を知ってもらうため、20人ほどずつ市長室に来てもらい、2時間かけて懇談。ほぼ全職員と対話しました。
約束実行の決意
就任後間もない11月15日付の「広報ながの」に、私は「市政をみんなの手で」と題し、次のように記しています。
「皆さまのご期待にこたえ、『約束したことは誠実に実行する』決意を新たにしております。高速交通網と生活道路の整備、災害防止対策の推進、高齢化社会に対応する福祉対策、農業・商工業の基盤整備、教育など懸案は山積みしています。
『明るく住みよい長野市』の建設は、みんなの願いです。一人ひとりが市政を身近にとらえ、持てる力を発揮することにより、みんなが『この長野市に生まれてよかった。住んでいてよかった』と言える街づくり、みんなの心が生きる市政を皆さまと共に築いていきたいと思います。
そして、子供や孫たちのために、力強くたくましく、潤いとやさしさのある『愛の都市』をつくり、21世紀へ引き継いでいきたい」
(2014年8月23日号掲載)
=写真=初登庁時、市役所入り口で支持者らから歓迎を受ける