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065 新野すくいさ ~先祖や近隣ときずなを強く~

新野(にいの)すくいさ
(音頭とり)
ひだるけりゃこそ すくいさに来たに
たんとたもれよ ひとすくい
(踊子返し)
たもれよたんと たんとたもれよ ひとすくい
 「阿南町誌 下」より
    ◇
 どこか物悲しい。そして同時に、温かみのある詩情が漂い、広く愛されてきた。

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 あえて意味を探るならば、「ひだるい」は空腹、ひもじいこと。「すくいさ」は、物をすくい取ること、人を救うことという二つの意味がかかっており、飢餓の時などの救済施設を指す。

 おなかがすいて苦しいので、助けてもらいに来ましたよ。たくさん下さいね―。

 こんなお願いのあいさつが込められている。下伊那郡阿南町新野の盆踊り唄を代表する一つ「すくいさ」の歌い出し部分だ。

 続いてこう歌われていく。

盆よ盆よと 春から待ちて
盆が過ぎたら 何ょ待ちる
(返し)
盆にゃおいでよ 7月おいで、死んだ仏も 盆にゃ来る
(返し)

 古い宿場の面影が残る通りに組んだ音頭台に乗り、5、6人の音頭とりが音頭を発する。これに踊り子の返しが呼応し、掛け合いながら8月14、15、16日の3日3晩を踊り明かす。太鼓や笛などの楽器は一切使わない。

 ゆっくりとしたしぐさの踊りの輪に加われば、男も女もみんな平等、身分の上下も金持ちとか貧乏人とかの差もないのだという。

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 1987年発行の「阿南町誌 下」を開くと、古来この地方には旧暦7月のお盆、祖先の霊を祭る仏事が貧しくてできない家、食べ物に困る人たちに「すくいさ」の仕組みがあった。

 余裕のある家が、門前に米やアワなどを出しておく。それを苦しい人たちが盆の3日分だけ、すくってもらっていくことができた。誰もが亡き人の霊魂を迎えられるように心を配る支え合いだ。

 1度、それもわずか2曲だけ、踊りの列に交じったことがある。ご親切な縁で一夜の宿と踊りの案内にあずかった。「ここの盆踊りは見るものじゃない。踊ってこそ、だよ」と、背中を押された。

 3日間とも夜の9時ごろから始まり、日付けが翌日に変わりいよいよ盛り上がる。とりわけ17日早朝、終わりを告げる踊り神送りの列が、ナンマイダンボ、ナンマイダンボと町外れへ向かう時だ。

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 もっと踊っていたい! 行列を押しとどめるかのように踊り子の集団が立ちはだかる。押し合いを繰り返しつつ朝もやを透かして日差しが注ぐころ、行列は広場に着く。音頭台を飾った新盆の切り子灯ろうに火がつけられ、花火が一発響いて人々は一斉に家路へ。もう振り向いてはいけない。

 古風で人情味豊かな盆踊りが終わると、秋風の吹く時季が近い。

 〔7種の踊り〕新野の盆踊りは扇子を持って踊るのと、持たない手踊りに分けられる。前者はすくいさ・音頭・おさま甚句・おやまの4種。後者は高い山・十六・能登の3種。
(2014年8月23日号掲載)

=写真1=熱気と興奮の踊り神送り
=写真2=燃え上がる切り子灯ろう
 
愛と感動の信濃路詩紀行