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75 丸山真男の象山論 ~サムライ離れしている~

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 戦後の代表的な思想史家、政治学者の丸山真男(1914~96年)が、「日本思想史における佐久間象山」という講演を、1964年10月に行っている。

 信濃教育会臨時総集会でのことで、場所は松代町の松代小学校講堂。東大教授だった丸山真男は、象山は吉田松陰との比較で「心情の不純さ、根性のずるさがあるとみられやすく、とかくの評を受ける一因」と述べている。

 10数年前に松本市内の古書店で求めた20ページほどの講演集=写真=に書かれていた。主要な点を紹介すると―。

 丸山は、象山と弟子である松陰は対照的な性格で、「松陰は情の人。象山は知の人」と分析している。

 松陰の米艦渡航事件に連座した時の象山の態度について論及。取り調べに対して松陰が「国禁は百も承知で、事敗れたからには処刑は当然」と答えたことに触れ、「その従容とした態度で、一般には松陰の潔い態度の方が受ける」。

 一方、象山については「最初、あくまで自分の行ったことは合法的で、あまり窮屈に禁令を適用すべきではない―と抗弁、役人の心証を悪くした」という。だが、象山は臆病どころか、場合によっては進んで死地に入ることを恐れなかったことは、弟子らへの手紙で明らかだと、指摘している。

 「会合の際、過激の論はするな。万事、(自分の才能、地位などを包み隠す)御韜晦にしかず奉存候」と書いている手紙を挙げた。どんな困難に直面しても、目的完遂のために生き抜こうとする象山の粘り強さは、幕末の多くの志士たちとは違い、サムライ離れしている―としている。

 「象山が絶大な名声にもかかわらず、藩の内外でしばしば孤立しがちだったのは、彼の自信過剰と傲慢不遜が払わなければならなかった代償だ」という丸山の指摘は興味深い。
(2014年8月9日号掲載)

 
象山余聞