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43 教育・文化 ~過大規模校を解消 大室古墳群で直訴~

 市長に就任して間もなく、教育長さんから「市内には学級数が30を超える過大規模の小中学校が10校もある。なるべく早く解消したい」との報告を受け、正直驚きました。

 小学校は古牧、青木島、芹田の3校、中学校は桜ケ岡、更北、裾花、東部、北部、三陽、柳町の7校です。郊外への団地造成や、近隣町村からの移住が進み、児童・生徒数の急増となったわけです。

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 子どもたちの教育環境を整えなければオリンピックどころでなく、世界の笑い者になると思い、早急に教育委員会で方針を決めるよう要請しました。市教委は「小中学校通学区域等改善委員会」を設置して検討を重ね、小中4校を新設し、五輪前に適正規模にする方針を打ち出しました。

五輪が「錦の御旗」
 まず、1991(平成3)年4月に犀陵中を市内19番目の中学校として開校し、三陽、桜ケ岡、裾花の3中学校を通学区変更で適正化しました。翌92年4月には49番目の小学校として緑ケ丘小を開校し、芹田、古牧、南部の3小学校を適正化。93年4月に三本柳小を開校し、青木島、下氷鉋、川中島の3小学校も適正化。最後に広徳中を開校し過大規模校を全て解消しました。

 私が市会議員だったころ、湯谷小の新設に伴う通学区変更で大変もめたことがあり、市教委には地域によく説明するよう、お願いしました。現在は児童・生徒数も減少しており、考えられないような状況でしたね。

 そのころは、オリンピック担当の文部省に度々打ち合わせに行く機会がありました。ある時、帰りがけに文化庁長官がおられましたので、予約なしで長官室に入り、遅れていた大室古墳群の国史跡指定を直訴したことがありました。

 松代の市民会議で、一帯が乱開発されそうなので、早急な対策を要望されていました。「早く指定してもらわないと貴重な古墳が破壊され、五輪を迎える長野市は世界から笑われる」と訴えました。

 すると長官はすぐ担当課長を呼び、至急、進めるよう指示されました。その結果、超スピードで97(平成9)年に史跡指定され、国の補助金で保存整備が進みました。当時は「五輪を成功させるため」と言うと、二つ返事で国に事業採択をしてもらえ、長野市にとっては「錦の御旗」でした。

 90年4月には、城山公園内に東山魁夷館がオープンしました。東山芸術の神髄といえる540点余の寄贈作品を鑑賞でき好評です。

東山魁夷館に協力
 その2年ほど前、大学の先輩である石原俊輝さん(信濃毎日新聞社・信越放送社長)を訪ねると、「ちょうどよいところへ来た」と言われました。実は、東山画伯から絵画寄贈の依頼を受けている。作品を展示する美術館を市で造れるか、とのお尋ねです。

 当時、北信美術会から市立美術館建設の要望もあり、願ってもない話と思い、「長野市で造りましょう」と申し上げました。石原さんは「それはありがたい」と言われましたが、しばらく間を置いて「やはり、これはまず知事さんに話してみる」と言うのです。

 そこで「県が造る場合は、ぜひ長野市内に」とお願いすると、「それは約束する」とのご返事でした。間もなく計画が公表され、画伯の「善光寺の見える場所」というご意向もあって、県が城山公園に建設したわけです。市も用地提供など全面的に協力しました。
(2014年9月20日号掲載)

=写真=新設した緑ケ丘小学校(上)開校式でテープカット

 
塚田佐さん