09 豊野駅 ~苦難越え 駅前に描く夢

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 空き店舗が点在する豊野駅前に昨年10月、一軒の店が開店した。「ぶんぶん農園食処」。とんかつやコロッケなどを提供する食堂兼総菜店で、売りは、豊野産のリンゴを食べさせ豊野で育てた「りんご豚」だ。
 「この豚は、脂身まで甘くておいしいんだよ」。日焼けした顔でそう教えてくれるのは、店を経営する「ぶんぶんフーズ信州」(赤沼)会長の天利修三さん(69)。この店は、苦難を乗り越えた天利さんの第二の人生の目標だった。

 天利さんは、26歳で道路ののり面保護などを行う会社を起業。当時は珍しかった、資材の輸入から工事まで一貫して引き受ける手法が当たり、年商20億円、社員56人を抱えるまでに成長した。

 しかし10年前、保証人になった知人の借金を肩代わりしたことから経営が悪化。民事再生法の適用を申請し、自宅や会社の土地・建物などを全て差し押さえられ、売却された。
 応援してくれる人もいたが、手のひらを返したように冷淡になったりどう喝まがいの態度を取る人もいた。失意の天利さんを支えたのは、起業前に神学校で学んだキリスト教の教えだった。「神様は、耐えられない試練は与えない。やればできる」

 借金返済に奔走しながら、農業の世界へ。実家の農地でナシやリンゴを栽培し、専門家に養蜂を学んだ。5年前、事業が軌道に乗り始めたのを見届け会長職に退くと、養豚を始めた。一昨年には、農作物加工品を製造するぶんぶんフーズ信州を設立。「丹精して作った安全な食べ物を、おいしく食べてほしい」という思いの終着点が、「食処」だった。

 若いころ、豊野の商工会青年部の仲間たちと駅前活性化について「ステーションビルができないか」など、様々な夢を描いていた。多くの店が立ち並ぶ国道沿いではなく、あえて駅前に出店した理由も、「豊野の顔は駅前、という思いが今もある」から。「少しでも、駅前がにぎやかになる手伝いになればいいんだけれどね」と、笑顔で話す。

 天利さんは食材の生産に専念し、「食処」の運営は女性スタッフが担当。店には、近所の人や一人暮らしのお年寄りらが訪れている。
 借金は、来年3月で返済が終わる。「たくさんの人が助けてくれた。利益追求よりも、人に喜ばれる店にしたいんだ」。苦い思いを飲み込み、前だけを向いて歩んできた10年分の思いを、店に託している。

写真:看板を出す天利さん。間もなく開店1周年を迎える
(村沢由佳)

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豊野駅
 (長野市豊野町豊野)
 ◇標高 334・6メートル
 ◇開業 1888(明治21)年
 ◇1日平均乗車人員 930人(2012年)
 豊野は江戸時代、飯山街道の宿場や千曲川通船の河港があった交通の要衝。駅も飯山鉄道(後の飯山線、1921年開通)や河東鉄道(後の長野電鉄河東線、25年全通)ができるまで、飯山、中野、須坂方面への玄関口としてにぎわった。貨物輸送(84年廃止)でも、須坂の製糸業を支え、特産のリンゴ出荷に役割を果たした。現在の橋上駅舎は2008年に建て替えられた。

(2014年9月6日掲載)