13 安全へ変わらぬ志つなぎ

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 オイルのにおいが漂うJR東日本の長野総合車両センター(西和田)にある交番検査庫。数人の職員が、車両の下で発電機起動装置などの検査を行っていた。

 車両は、信越線の長野―直江津間を走るモスグリーンの「妙高号」。車体は、1976(昭和51)年から特急「あさま」などに使われ、国鉄時代の趣を残す。
 「こうした古い列車も頑張って走れるよう、きちんとメンテナンスしているのです」。運転検査科助役の岸本幸浩さん(51)は、作業服を汗でぬらしながら黙々と作業をする仲間と「妙高号」に、温かなまなざしを向けた。

 北長野駅から長野駅に向かう途中に位置する同センター。東京ドーム5個分、27万平方メートルの敷地を有し、約240人のJR社員や関連企業の人たちが働く。通勤通学の手段として親しまれる近郊型電車、旅行者を乗せて長距離を走る特急列車など、722両の車両の検査、整備などを担う要所だ。

 岸本さんと共に「妙高号」の作業を見守っていた同車両技術主務の荻原良友さん(36)は、高校卒業後、制服姿の駅員や運転士に憧れてJRに入社した。整備を希望していたわけではなかったから、最初は苦労の連続だった。「ねじの締め方も分からず、先輩たちに一から教わった。電車の仕組みが分かってくると、仕事が面白くなった」と言う。「ねじが1つ飛んだだけでけがや事故につながる。常に責任を感じながら仕事しています」と表情を引き締める。

 同センターの歩みは1890(明治23)年に始まる。昭和初期にはD51形蒸気機関車の製造も行っていた。1963(昭和38)年に鋳造プラントが稼働。敷地内の溶解炉で製造する車両のブレーキ部品などは、性能の良さが認められ、JR各社だけでなく私鉄にも供給している。敷地内には同センターの歴史と功績を示すように、堂々と風格のある蒸気機関車やブレーキ部品が展示されている。

 「妙高号」を見つめながら、岸本さんは言う。「列車を走らせる技術は進化し変わっていく。けれども、先輩たちから受け継いできた、安全な列車を走らせるという思いは変わらない。次の世代にもしっかりつなげていくのが私たちの仕事です」

 長く培われてきた鉄道マンの志と信念は、これからもこの場所で受け継がれていくに違いない。そして、その思いが込められた列車が、今日も各地で走り続ける。

写真:検査作業を見つめる荻原さん(手前)と岸本さん
(村沢由佳)

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北長野駅(長野市中越)
 ◇標高 365・4メートル
 ◇開業 1898(明治31)年
 ◇1日平均乗車人員 2057人(2012年)
 信越線開通の10年後、須坂の製糸業者らが設置を求め、「吉田駅」として開業。当初は上高井方面の貨物が集中したが、大正末から昭和初期に長野電鉄ができ、客貨は激減した。1957(昭和32)年に現駅名に改称。68年、長野駅の客貨分離で貨物扱いを一手に担うことになり、現在も北信の貨物コンテナの拠点。現駅舎は、長野駅から車両基地に向かう新幹線線路の高架下に造られている。