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23 残された小児 ~つぶれた社の下でうめき声

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 村々へ流れ寄せた米穀、衣類、雑具など、おびただしいものであった。互いにこれを競争で取ろうとして、川辺へ出た後を狙って、盗賊が家々に押し入って悪さをするというので、取次の横田甚左衛門以下の面々を派遣。「かの狼藉をやめさせ、またそれを戒諭してその荒れた様子を見てくるように」と言い含めた。早速調べた結果は、そのような乱暴はなかったとのことであった。

    ◇
 四ツ谷村で地震の時、つぶれた産神の社の下にうめき声が聞こえるというので、村人が集って屋根を剥がして見れば、七、八つばかりの幼児が出てきた。
 「父母は?」と聞くと、「中に寝ている」と答えた。さてはと、剥がしてみると、夫婦と思われる2人と乳呑子1人が押し倒されて死んでいた。夫は坊さんと思われ、そばに米を入れた袋があった。
 さては巡礼して歩く者だろうと、この子に出身地を聞いたところ、片言で「はっきりしないが、松本の在のはし場という所まで行けば、知人がいる」との答えであった。

 そこで地震がやんだら連れて行こうと、名主の家で世話をしているうちに、疱瘡を病んだが、軽くて済んだ。そのうちに大水が出て、この時も人々の世話で事なく逃れたが、村はわずかに4軒ばかりになって流れ、田畑も残りなく押し流されたので、みな途方に暮れた。

 彼も小児の世話に困り果て、仕方なく役所へ届け出て、岩野村の幸五郎をつけて松本へ遣わしたが、例の小児がナニがソコ、ココと言う方へ一緒に連れて行ったが、これぞという親族もいなかった。浅間の温泉辺りで聞いてみると「佐久郡より来た者で無宿者なり」ということなので、連れ帰って、幸五郎がしばらく預かっている。

    ◇
 丹波島の者、老幼婦女は山々へ引きこもるか、または親類のもとへ避難した。わずかに若者が30人ばかり残り、問屋の前に集まり、舟(艘引きつけておいて「すわ」と言えば乗り出そうと構えていたが、にわかに大水が押してきて急いで飛び乗った。
 ところが、どうしたことか1人が乗り遅れて、しかも足を舟から踏み外して流されてしまった。流されて行く途中、ちょうど自分の家に流れついて、屋根に登り助けを求めたら、先の舟が漕いできて助け下ろして救助されたという。
(2014年10月18日掲載)
 
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