
長野オリンピックの翌1999(平成11)年、長野市は県内初の中核市になりました。中核市になると、民生、保健衛生、環境、都市計画・建設などの行政分野で、合わせて2778項目の事務権限が国・県から移譲されます。政令指定都市の70%ほどの行政権限が、長野市に与えられたことになります。
例えば、老人ホームや保育所の施設認可、身障者手帳の交付、飲食店の営業許可など、多くの事務が市の仕事となりました。中でも、市民の健康管理につながる保健所業務や廃棄物行政が市の権限で行えるようになったことは、スピーディーな行政サービスにつながりました。
市保健所を開設
99年4月、長野赤十字病院の東隣に鉄筋コンクリート3階建て、延べ3435平方メートルの長野市保健所を開設し、市民の皆さんへの保健医療サービスが独自に展開できるようになったことは大きいですね。
昭和の終わりから平成になると、福祉の充実が大きな課題となってきました。特に高齢化の進行で高齢者福祉は、24時間巡回型及び滞在型のホームヘルプサービス、12カ所設置したショートステイ、21カ所整備したデイサービスを3本柱とし、ホームヘルパーを大幅に増員しました。
99年度には150人体制とし、それまで嘱託や臨時の雇用だったのを、優秀な人材確保と良質なサービス提供のうえから、全員を正規雇用にしました。これが評価され、「長野市の価値ある挑戦」として、朝日新聞の社説にも取り上げられました。
また、国の介護保険制度が2000年度から実施され、特別養護老人ホーム14カ所など、各種高齢者施設の整備やソフトサービス事業などをきめ細かに行い、制度の円滑な運営に努めました。
障害者福祉は、療護施設「ほほえみ」、生活介護事業所「はなみずき」、身障者デイサービスなど5施設を「いつわ苑」として富竹の長野市民病院に隣接して開設し、要望の強かった入浴サービスなどができるようにしました。
児童福祉は、保育園の整備や子育て支援センターの開設、児童センター・児童クラブの設置や休日保育の実施、乳幼児医療費の給付拡大などに努めました。
また、以前から路線バスの乗車率が悪く、運行が廃止になると高齢者など交通弱者が困るので、補助金を出して路線を維持してきました。しかし、それでは大切な税金を使って空気を運んでいるような状況でした。
市内ならどこでも
そのため、何とかできないものかと検討し、70歳以上の高齢者を対象に市内ならどこまで乗っても100円という100円バス方式を実施しました。
当時は、平均乗車率が5人あれば路線を廃止しないで済みました。そこで、高齢者に乗ってもらうことで行動範囲を広げ、ついでに市街地で買い物をしてもらえば商店街の活性化にもつながるという一石二鳥を狙ったのです。
最初はバス会社も渋っていましたが、「市も補助するから協力してほしい」と説得し実施したところ、これがなかなか好評で今でもお年寄りに喜ばれています。
このごろも私がバスを降りると、先に下車したおばあさんが頭を下げるので、よく見たら「おでかけパスポート」を掲げ、「おかげで便利に使わせてもらっています」と、お礼を言われました。
(2014年10月11日号掲載)
=写真=「おでかけパスポート」のスタート式(2001年4月)