
私の市長時代には、環境問題が避けて通れない課題でした。高度成長の波が押し寄せ、使い捨ての風潮が強まり、家庭ごみが増える一方でしたからね。
不燃ごみは従来の処理場が満杯になり、新たに計画した篠ノ井小松原地籍の最終処分場、天狗沢埋立地が1991(平成3)年9月に完成して、一息つくことができました。
増加する一般ごみをどう処理するかが大問題でした。幅広い市民の意見を集約するため、翌92年7月、「ごみ減量・再資源化推進市民会議」を設置。市民・事業者・行政が役割分担をし、ごみの減量と資源の有効利用に取り組む具体的な方法を議論してもらいました。
集積所に出向き検討
その結果、可燃・不燃・紙・缶・瓶を分けて収集することで、ごみの総量を20%ぐらい減らせ、これらは資源として有効利用が可能との方向を打ち出すことができました。
市民会議の議論を踏まえ、その年の11月に古牧、若槻両地区を試行的モデル地区に指定し、新しい5分別方式を実施しました。両地区では区長さんや衛生組合長さんはじめ、地域の皆さんに熱心に取り組んでいただきました。私も早朝、ごみ集積所に出向き、一緒に問題点を検討しました。
93年度はモデル地区を広げ、三輪、吉田、安茂里、大豆島、川中島、更北地区でも取り組んでもらいました。市内人口の33%に当たる地区で試行し、実現可能性を探ったのです。
こうした試行錯誤を経て、市民会議やモデル地区で出された多くの問題点を改善し、94年6月に「市ごみ減量・再資源化行動計画」を決定。市民の理解を得ながら、市独自の5分別方式を8月1日から全市で開始しました。
その前に、まず市民・事業者・行政の意識改革が何よりも大切と考え、環境部を中心に市を挙げて「ごみ5分別長野方式」の説明会を市内各地区できめ細かに実施しています。
市職員の皆さんには大変頑張ってもらい、20カ月で1300回もの市民説明会を開催しました。そのおかげもあって、多少のトラブルはありましたが、今ではすっかり5分別方式が定着しています。
市民への説明会は19時ごろからが多く、職員の皆さんは昼間の仕事を終えてから、もう一仕事してくれました。私の手元に今、当時の職員が貴重な体験を記したミニミニ記録集「ごみ5分別収集説明会 あれこれ奮闘記 膝つきあわせて1300回」という小冊子があります。
根気強く職員が努力
これを見ると、職員が暗い夜道に迷いながら会場の公民館などにたどり着き、「俺たちは税金を払っているんだぞ!」とか、「(ごみを出すようにしている)メーカーの方を取り締まれ」など、いろいろな市民の声に納得してもらえるよう、根気強く努力した様子がうかがえます。
中には「♪役員の皆さんご苦労さん ステーション指導お願いね
資源回収に重き置き きれいな"ながの"をつくろうネ♪」
などと、歌を作って呼び掛けた職員もいます。
本当にみんなよく頑張ってくれた、と職員の行動力を今でも評価しています。各地にごみステーションや資源物の保管所を設置。資源物については回収量に応じて市が報奨金を出し、それを区の運営費などに活用してもらう成果も生まれました。
(2014年10月18日掲載)
写真:早朝、5分別方式の試行モデル地区を視察