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068 美ケ原 ~大自然の絵模様に心弾ませ~

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美ガ原
登リツイテ不意ニ開ケタ眼前ノ風景ニ
シバラクハ世界ノ天井ガヌケタカト思ウ。
ヤガテ一歩ヲ踏ミコンデ岩ニ跨(またが)リナガラ
此ノ高サニオケル此ノ広ガリノ把握ニ尚モクルシム。
尾崎喜八

   ◇

 美ケ原を訪れた観光客は、必ずといっていいくらい「美しの塔」に足を向ける。この塔の前に立つや、「ああ、美ケ原高原に来たのだな」と実感する。

 いわば美ケ原を象徴する塔の壁に、この詩が掲げられている。踏み段を2段、さらに台座に上って見上げる位置だ。片仮名交じりの表記は、決して読みやすくはない。一語一語、確かめながら読み進むことになる。

 こう続く。

無制限ナ、オオドカナ、荒ッポクテ新鮮ナ
此ノ風景ノ情緒ハタダ身ニシミルヨウニ本源的デ
尋常ノ尺度ニハマルデ桁(けた)ガハズレテイル。

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 少し理屈っぽく感じさせるのに、最後の4行に移った途端、それまでの硬い調子とはガラッと変わる。目前の風景や空の様子を、まざまざと目に浮かばせ、軽快に描写していく。

秋ガ雲ノ砲煙ヲドンドン上ゲテ
空ハ青ト白トノ目モ覚メルダンダラ。
物見石ノ準平原カラ和田峠ノホウヘ
一羽ノ鷲ガ流レ矢ノヨウニ落チテ行ッタ。

 広々した高原に雲がわき上がる。晴れた空に青と白のまんだら模様が、鮮やかだ。そして東の外れに位置する物見石山(1985メートル)から眼下の和田峠の方へ1羽のワシが、矢のように消えていった。

 標高2000メートル前後の美ケ原には、四方から車道や登山道が延びている。そのいずれをたどっても、登り詰めると、空が頭上高く広がり、まるで天井が抜けたかのごとく、何ひとつ遮るものがない。

 東京生まれの詩人尾崎喜八は、終戦の翌昭和21年9月、当時の諏訪郡富士見村に別荘を借りて移り住んだ。それから6年2カ月、信州の自然と親しみ、土地の人たちと交わり、創作に打ち込む充実した日々を過ごす。

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 美しの塔に刻まれた詩「美ガ原」は、それ以前、昭和17年に出版の詩集「高原詩抄」に収められている。題名の「美ヶ原溶岩台地」を「美ガ原」の3文字に簡略化し、表記の平仮名を片仮名に改めた。

 読み終えて塔の周りを1周2周してみる。それにしても...と思う。どうしてこんなに高い山のてっぺんに、日本一といわれる広大な平原ができたのか。火山活動が関わっているとされるけれども、素人にはよく分からない。

 青空に映える美しの塔を眺めようと、天気予報のお日さまマークに促され、やってきたのだった。和田峠の側からビーナスラインを北上するコースだ。

 ところが頂上は、霧雨の舞う灰色に包まれている。青い空も白い雲もない。山の天気の急変ぶりが恨めしかった。

 〔準平原〕長期間、風雨で地表を削られて起伏が小さくなり、ほとんど平らに変わった地形。浸食作用の最終段階。残った硬い岩石層を「残丘」と称する。
(2014年10月4日号掲載)

=写真1=高原のシンボル「美しの塔」
=写真2=牧場も風景に溶け込んで
 
愛と感動の信濃路詩紀行