番場節
ばんばは よいとこ よーいよい
ばんばナー ばんばと
皆ゆきたがるヨイヨイ
ばんば居よいか住みよいか
ばんばはよいとこヨーイヨイ
(合唱)
ばんばの峠にゃ お仙が待ってる
草刈りやめても 田の草おいても
お仙に逢わなきゃ なんにもできない
ヨホホイノ ホーイホイ
(日本民謡全集③関東・中部編)
江戸へ向かって東に右折していく中山道と洗馬宿(塩尻市)で分かれ、北国西街道は真っすぐ北を目指す。いわゆる善光寺道だ。
松本を過ぎ、刈谷原峠と立峠の難所2つを上り下りし、もう1つの猿ケ馬場峠に立てば、いよいよ信仰の道のゴール善光寺平である。標高964メートル、今は聖高原の名で親しまれる。
この峠を挟んで南側の麻績宿(東筑摩郡麻績村)と北側の中原(千曲市・写真上)に伝わる民謡が「番場節」だ。峠には何軒かの茶屋があり、その1軒の看板娘「お仙」にまつわる物語が、艶っぽい彩りを添えてきた。
美人で愛嬌のあるお仙は、近在の若者たちの憧れの的だった。一目でいいから見たい、会いたい思いに駆られ、わざわざ峠まで草刈りに出かけていく。忙しい田の草取りもそっちのけで通う。
古今東西、若さとはそういうものなのだろう。歌われている通り〈お仙に逢わなきゃ なんにもできない〉のだ。血気盛んな若々しい響きが伝わってくる。
番場節の元をたどると、「草刈り唄」とする説がある。そうであれば、夏は草いきれの中で汗にまみれ、秋は冷たい露にぬれながらの仕事だ。肉体労働の厳しさを、心ときめかせる歌声で紛らわせたのではないだろうか。
鉄道の篠ノ井線が敷かれていず、犀川沿いの道も整備されていないころのことだ。峠から峠へとたどる善光寺道が、松本平と善光寺平を結ぶ幹線だった。荷物を運ぶ人や牛、馬などに交じり、善光寺参りの善男善女が行き交う。旅人には茶屋での一休みが楽しみだ。
今もお仙の茶屋跡があると聞き、峠へ急ぐ。麻績側の車道からそれ、急坂の善光寺道を下って平らになった辺りの広場がそうだった。傍らを弘法清水と名付けられた湧き水が流れる。
番場節は続く。
峠ナー恋しや 清水の茶屋のヨイヨイ
店にゃお仙が 待っている

こうして言い寄る若者の誰ひとりにも、お仙の気持ちはなびかなかった。
ある日、1人の若い侍が立ち寄り、お仙に一目ぼれした。お仙も恋心を抑えられない。必ず戻ると言い残して去った侍は、木曽の山中で盗賊に殺される。そうとは知らずお仙は待ち続け、病に侵され、命果てた。
陽気な歌の陰に隠された悲話だけに、なおさらいとしさが募る。
〔草刈り唄〕牛や馬が農耕に欠かせなかった時代、飼料にする草の確保は毎日の重要な仕事だった。その道中などに動物と間違えられたりしないよう、大きく長く響かせて歌った。
(2014年10月18日掲載)