記事カテゴリ:

77 将軍に謁見 ~意気軒高の書状~

77-zozan-1011p.jpg
 横浜市在住の内科医、前島孝さん(82)が十数年前に著した「松代藩前島家文書考」に、象山暗殺のほぼ2カ月前、前島家10代に宛てた書状=写真・真田宝物館提供=についての記載がある。二条城で将軍に謁見を許されたことを報告する内容で、意気軒高の様子が漲(みなぎ)っている。

 この書状は和様書体の一つ御家流(おいえりゅう)で書かれており、日本画家、故高橋雲峰貞重(うんぽうていじゅう))が解読。「前島邸古文書を読む会」が松代の前島邸にコピーを展示し、紹介している。

 同会によると、書状の包み紙には「前島源蔵様」「佐久間修理(封)」、家臣団の監察と思われる「目付」とあり、日付は元治元年五月朔日(さくじつ=ついたち)。

 元治元(1864)年3月、幕府の御用命で京都に上洛した象山が、既に1月に上洛し、二条城に滞在中の14代将軍、徳川家茂に5月1日に謁見を許されたことを知らせている。

 象山のような諸大名の一家臣(陪臣)に過ぎない者が、将軍に謁見するのは、特別な扱いで、象山がそれだけ幕府に期待されていることを示す重要な資料だ。書き下し文の要約は―。

 「一筆啓上致し候」で始まり、「...老中、酒井雅楽守(うたのかみ)のお指図により、明日、五月朔日の五つ半(午前9時ごろ)、二条城へ参上するように、松平和泉守殿のお書付でお伝えなされた通り、今朝の例刻に、熨斗目麻裃(のしめあさかみしも=士分の者が着る礼服)を着用して登城したところ、二条城黒書院の御入側(おんいりかわ=畳敷きの細長い通路)で(将軍に)御目見をお申しつけ頂き、有難く仕合せに存じます」とある。

 前島孝さんは14代前島家当主。1992年に、保存、公開を目的に住宅をはじめ、代々受け継いできた古文書、書籍、武具など900点余を市に寄贈した。象山の書状は、この資料の一点。
(2014年10月11日号掲載)

 
象山余聞