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25 各村の様子 ~目に余る抜け崩れで大被害~

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 山田中村
 押埋39軒、潰13軒、半潰10軒、死失50人の旨。かねて承知していたよりも目に余る抜け崩れで、耕地はおよそ3分の1は残らず。
(以下略)

 倉並村
 押埋22軒、潰11軒、半潰6軒、死失60人。この村は山上より一時に大岩など押しかかったと見え、居家そのほか跡形もなくなった。(以下略)

 念仏寺村
 押埋3軒、潰85軒、半潰30軒、死失30人の旨。下組は格別の抜け所も無い様子であるが、上組は岩草村より続き臥雲院までの道筋残らず抜け落ち、麦畑が抜崩れのところ、ようやく往来できるようになった。

 同村の臥雲院の寺地残らず、大穴の如く杉の木の所より一円に抜け下がり、大門の敷石入り口庭の形などは格別変わった風はない。70、80軒も抜け下った様子。大門下の方は田畑大抜け下り、上組の村家もここにとどまった様子。

 この抜け下ったとき、みなみな逃げ出し、大門下の畑中に集まり、火をたいていたところ、寺の方より黒い牛のようなものが2つほど下り通ったとのこと。これはなにものかと人々大いに恐れたとのことである。
(以下略)

 梅木村
 押埋6軒、潰50軒、半潰30軒、死失70人の損失。抜け所多く、田畑荒所も数多く、もっとも道路は格別大損害を来した。

 伊折村
 押埋17軒、潰15軒、半潰10軒、死失90人余。中組の内太田というところ、大抜けの場で、村裏の山より大磐石がくだけ落ち、約12、13丁も押し落とし、一円大磐石で家数10軒程押し埋め、死失50人ほどで、死骸は一向に見えず。
(以下略)
(2014年11月22日号掲載)
 
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