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43 善光寺街道 麻績宿から姨捨の里へ ~解きほぐれた心身で納めに~

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 史家でもあった滝川政次郎さんは「旅は辿る日である」と記している。「絆の道」の旅は回を重ね、行脚修行の身も喜寿を迎えた。祈りの道の善光寺街道を麻績宿から姨捨の里へ歩き、終章とする。

 中秋の名月が間近の9月7日、善光寺街道協議会の「歩き旅ツアー」に加わるため、JR篠ノ井線聖高原駅で降りる。この企画は善光寺街道文化を復活させるため、平成21(2009)年より始められ、好評を得ている。

 秋晴れの下、小瀬佳彦会長を先達に一行25名は出立。麻績宿の口留め番所跡を通り、神明宮で小休止。麻績地区は、往昔から経済、交通の要所で、平安時代には伊勢神宮の荘園であり、神明宮は内宮の分社である。麻績の案内人、小瀬会長の簡明な説明の声が、国の重要文化財である本殿一帯に響く。

 麻績宿を後にして、市野川沿いの坂道を約30分上り、芭蕉句碑のあるお仙の茶屋跡で小休止。

 いよいよ、街道最後の難所・猿ケ馬場峠(964メートル)を目指す。風雪に耐えた古道を一歩一歩と踏むうちに、間もなく聖湖に到着。この湖は、かつて「ばんばの池」と呼ばれた自然の沼池を昭和39(1964)年に造成し、改称したものである。初秋の湖畔で昼餉を楽しむ。

 江戸時代の村境を石碑で確認し、猿ケ馬場峠を下る。ぬかるみに足を取られながら進み、念仏石に着く。ここは念願の善光寺を初めて望見し、歓喜のあまり念仏を唱えたことから、その名がある。今は残念にも木立の中である。

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 足取り軽く進むと、右側への分去れ(わかされ)=写真=で、江戸時代には「おばすてはこれからゆくか かむこどり」の句碑が道しるべとしてあり、旅人を導いていた。ここから姨捨の里へは約6キロで、長い間この道の存在は忘れられていた。千曲市桑原の山口盛男さんは「平成20年に地元民の熱意で復活を図り、以後毎年整備している」と力強く語った。

 歩きやすい古道を約2キロ下り、林道を1時間ほど進むと、視界が開け、善光寺平の大パノラマだ。今や姨捨の里も近しと、長楽寺へ先を急ぐ。この寺は月詠みの歌枕で名高く、多くの歌・句碑が建てられている。文化11年(1814)にここを訪れた大測量家の伊能忠敬は、その日記に13の古詠を写している。

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 月見の客でにぎわう長楽寺に到着。岩の高さ十間(約18メートル)といわれる姥石(うばいし)に登り、秋風立つ千曲川を背景に参加者全員で記念写真。平成の旅人たちの顔(かんばせ)は興奮した充実で輝いている。

 私の旅も終わりである。解きほぐれた心身を善光寺に向け、原郷の恩に深く感謝して般若心経を奉誦し納めとした。

(おわり)
(2014年11月8日号掲載)

=写真=重要文化財でもある麻績神明宮(現在、本殿と拝殿は解体修理中)

 
絆の道