
市長就任2年目の1987(昭和62)年、長野市は市制施行90周年を迎えました。市役所第2庁舎の竣工記念と併せ、猪谷千春IOC(国際オリンピック委員会)理事に講演をしていただき、記念式典を開催しました。
記念事業では、自然愛護と緑化推進のために制定委員会の議論を踏まえ、「市の木」に飯綱高原などに自生しているシナノキ、「市の花」にリンゴの花を選定。芸術文化振興基金と、街並みを美しくするための都市デザイン基金を創設し、長野市民憲章を制定しました。
また、12代倉島至さん(86)=当時、13代夏目忠雄さん(78)=同、14代柳原正之さん(80)=同、15代塚田佐(51)=同=の4人が一堂に会し、「歴代市長が語る集い」を開きました。長野市の都市づくりについて、熱心に語り合ったのも良き思い出です。
市旗を若竹色に
10年後の97(平成9)年、1897(明治30)年に全国で43番目に市制を施行した長野市は記念すべき100周年を迎えました。「長野市制100周年記念事業の基本方針」は、翌年の長野冬季オリンピック・パラリンピックの成功を最大の記念イベントとし、市民総参加で祝う事業を展開して国際文化都市・健康福祉都市を目指すことにしました。
具体的な事業として、長野オリンピック文化芸術祭、パラリンピック文化プログラムを実施。10月に市制100周年記念式典を挙行し、市旗をくすんだ茶色から明るいイメージの若竹色に変更しました。
さらに「長野市100選写真集」を出版。市の現在の姿を100年後の市民に伝えるタイムカプセルを、市立博物館に設置しました。
また、時代の大きな変革期にある長野市の過去と現状を後世に伝えるために、本格的な長野市誌を編纂(へんさん)することにしました。1992年に市誌編纂室を設置して準備を始め、編纂委員会を中心に執筆や資料収集のエキスパート140人ほどの専門家に取り組んでもらいました。
自然編は市域の地形・地質・動植物など、歴史編は古代から中世・近世・現代までの歩み、旧市町村史編は合併前の地区ごとに歴史を記述。民俗編は人びとの暮らしなど、資料編は近世の文献などを収録しました。全16巻で97年から順次、刊行されました。
事業費は約8億円かかりました。市誌編纂のために収集した資料は、古文書などを撮影したマイクロフィルムや行政文書など、後世に向けた貴重な財産です。全国的にも誇れる市誌になったと自負しており、100周年の節目に刊行できてよかったと思っています。
各地区で自主事業
市内26地区にも補助金を出し、「地域ふれあい・交流・活性化事業」に取り組んでもらいました。各地区の総意で自主事業を展開してもらい、活性化につなげてもらう狙いです。
松代は聖火ランナー像の建立や川田正子コンサート、文化・芸能発表会などを実施。芋井は戦後50年誌の刊行やひょうたんを加工して縁起物を作りました。 長沼は小林一茶と交流のあった俳人たち「長沼十哲」の句碑や長沼城址(し)に碑を建立。大豆島は地区原産の名菊「巴の錦」の復活作戦に全戸を挙げて取り組み、加賀の殿様もめでたといわれる金沢市での展示など、それぞれ工夫を凝らし、100周年記念事業の成果を挙げました。
(2014年11月1日号掲載)
=写真=市制90周年記念事業の集いで顔をそろえた歴代市長夫妻