
1985(昭和60)年11月11日に市長に就任し、16年目を迎えた2001(平成13)年の新春、そろそろ辞め時かと考えるようになりました。
私は若くして政治に携わりましたので、常々元気なうちに引退したいと思っていました。朝、座禅を組みながら気持ちを整理し、長年支えてくれた妻玲子に思いを話し、3月定例市議会の所信表明で「5期目の市長選には立候補しない」と明らかにしました。
市長在任中は胆石の手術で5日ほど入院したことがあり、風邪はひきましたが、さしたる病気もせず無事務めることができ、ホッとするとともに感無量でした。
熟慮・決断・実行で
長野冬季五輪があり、海外へも6日間程度の日程で何度も出掛けました。帰ると市政課題が山積しており、そのつど手抜きは絶対にしないという思いで頑張りました。
福祉・健康、生涯教育・文化、農業・産業など総合行政に目配りし、「住んでよかった」「住み続けたい」「行ってみたい」都市を目指しました。幸い、市職員の皆さんも世界が注目する長野市のために、しっかりやらなければという意欲に燃えて頑張ってくれ、感謝しております。
私の市長時代は景気も良く、市の一般会計予算規模は倍増し、経済活動の活発化により2000年度の市民一人当たり所得は過去最高の325万円でした。
任期最後の01年度に市の普通会計のバランスシートを公表しました。五輪を契機に市民生活に必要な資産は大幅に増え、1人当たり179万円で、負債は55万円です。負債のうち半分以上は交付税で手当てされるものでした。ちなみに、類似中核市6市の1人当たり平均の資産は136万円で、負債は46万円です。
私は市会議員のころから「初心忘るべからず」を政治信条とし、市長になってからは「熟慮・決断・実行」の躍動感ある市政を心がけ、職員の皆さんにもお願いしてきました。市政の結果については、4年ごとの選挙で市民の皆さんからの審判を、自分が代表して受けるという覚悟でいました。
自分自身は「裸の王様」にならないよう、謙虚に市民の皆さんの声なき声に耳を傾けることを心掛けました。また、決断は天に祈る気持ちで下し、市民の皆さんに将来喜んでもらえるかどうかを考えながら、公平・公正な選択をするよう努めました。
人事尽くし天命待つ
幕末に先祖と交流のあった佐久間象山は「予(われ)四十以後は、乃ち五世界に繋がりあるを知る」と省けん録で述べています。私が世界に訴えて長野にオリンピックを呼ぼうとしたのも、そうしたご縁によるものかと運命的なものを感じていました。
自分はあまりくよくよしないで、何事も楽観的に前向きに考える方です。よく「あなたは運が良い」と言われます。だが「棚からぼた餅」といっても、棚の下まで行く努力をしなければなりません。一生懸命に努力し切磋琢磨して、初めて幸運の女神はほほ笑むのだと思います。「人事を尽くして天命を待つ」ことが肝要です。
連載を終えるに当たって、16年間にわたり私を支えていただいた市民の皆さまに心より感謝と御礼を申し上げます。読者の皆さん、1年間ご愛読いただき、ありがとうございました。
(2014年11月8日号掲載)
塚田佐さんの項おわり
=写真=市長退任に当たり、大勢の職員が参加して開いてくれた送別会で(2001年11月8日)