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78 象山紹介の先駆者 ~日本画家・高橋雲峰~

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 「松代藩前島家文書」の象山の書状を解読した日本画家、高橋雲峰(貞重)=写真=は幾つもの顔をもっていた。象山鑑定家、郷土史家、歴史研究家...など、松代町代官町に住み、象山を紹介する先駆者だったという。

 娘のとよさん(81)によると、雲峰は1903(明治36)年に生まれ、91(平成3)年に他界。享年88歳。

 象山記念館が建設された1967(昭和42)年ごろ、象山ブームが起きた。雲峰は長年象山の書を研究しており、いつの間にか「象山鑑定家」の肩書きがひとり歩きしていた。「女房の実家にあった象山の書だが、鑑定してほしい」と、薄汚れた掛け軸が持ち込まれるなど、鑑定依頼が殺到。

 ところが、雲峰が「贋作」と断定したのに、「真筆」と偽って販売する者が現れた。当然、雲峰の耳にも入り、嫌気が差して雲峰は鑑定家を辞めてしまった。

 その後、雲峰は象山神社に参拝するのを日課とした。暇さえあれば足を運んでいたという。境内にある「高義亭」の2階「控えの間」には、雲峰の筆で「日本電信発祥の地、『鐘楼』で電信実験を行う象山先生の絵馬」が展示されている。この時の肩書きは郷土画家だ。

 雲峰は散歩の途中、出入りしていた家に寄り、お茶を飲みながら隣近所を誘って面白い話をした。時には、「障子紙があるかい」と持ってこさせ、家の人が墨すりを手伝い、目の前で石榴(ざくろ)の絵を描いたこともあったという。

 雲峰の絵は、襖に描いた「上杉謙信と武田信玄の川中島合戦図」をはじめ、縁起ものの「高砂」「楠公父子、桜井駅の訣別」、疫鬼(えきき)を退け魔を除くという鍾馗(しょうき)や仏像など、多彩な文物だ。

 「ぞうざん」か「しょうざん」かの象山の呼称問題が起きたころ、雲峰はしきりに「ぞうざん」と主張。象山を広く世の中に紹介した。
(2014年11月8日号掲載)




 
象山余聞