
高校に進むと、中学からサッカーを続けている友達から入部の誘いがありました。
実は、中学1年生の時に、全国高校サッカー選手権の決勝で、大橋謙三さん(元日本代表)らが率いる広島大付属高校が優勝したラジオ実況を聞いて、全国への夢を膨らませてもいました。今でもその時のアナウンサーのフレーズは耳に残っています。そんなかすかな思いが、友達の誘いをきっかけに、本格的にサッカーで全国を目指す決意につながりました。
簡単に入部の返事はしたものの、やはり中学からサッカー部だった仲間とは、3年間の差は大きく、一日でも早く同じスタートラインに立ちたいという思いから、練習終了後に個人練習を始めました。
自主性に重点
校舎の壁に向かっていろんなボールを蹴り、返ってきたボールを様々な状況を考えて、トラップすることを繰り返しました。当時のことですから、ナイター設備はなく、校舎に付いている裸電球が照らすほのかな明かりを探して練習をしました。とにかく、皆に追いつこうと必死でした。
練習はきつかったですね。先輩は恐かったけれど、体罰はありませんでした。1週間の夏休み合宿には、早稲田大や中央大に進んだOBが指導に来てくれました。熱い日差しの下でも、当時は水を飲んではいけないと指導を受けていました。一番つらい事でした。
あと、顧問の先生が、サッカーをやったことが無いという理由からコーチングを控えておられました。
代わりに先輩が指導に来てくれましたが、近所で開業医をされているOBの多々先生が、往診を理由に医院を抜け出して、スクーターに乗って何度も指導に来てくれていました。
多々先生との出会いが、私に大きな影響を与えてくれました。現役で東京大や京都大、慶応大に合格する卒業生を出している高校だけに、「自分で考えながら練習をしなさい」と、押し付けではなく自主性に任せることに重点が置かれていました。
さらに、広島大の付属学校という成り立ちにも恵まれました。小学校から高校まで一緒に過ごしてきているわけですから、保護者の方々も親密になるので、伸び伸びとサッカーに打ち込める環境をつくってくれました。
天井に貼った目標
いい友達もできました。サッカーはしていませんでしたが、地元の菓子メーカー松尾糧食工業(後のカルビー)社長の息子もその一人です。サッカー部で印象に残っているのは、電車にひかれて片足が義足だった仲間です。1年間は選手として続けていましたが、その後、マネジャーを務めていたと思います。彼のバイタリティーには頭が下がりました。
話は戻りますが、サッカー部に入って、まず私は、OBの長沼健さん(元日本サッカー協会長)や大橋さんが果たした全国優勝を目標にしました。当然、自分の部屋の天井に「全国優勝」と書いた半紙を貼り付けて、朝晩眺めていました。気持ちがマイナスになることはできるだけしない、目標に向かって努力するということを心がけていました。
ところが、やっと仲間の技術に追いついてきて出場した2年生の春の大会で、大きな事故に見舞われてしまいした。
(2014年12月13日掲載)
写真:高校1年のころ、仲間たちと(左から2人目が私)