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06 脾臓破裂 ~医師の許可なく再開 猛反対の両親を説得~

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 2年生になり、春の大会に出場しました。会場は、市街地から汽車に乗り、1時間半ほどにある三次町(現三次市)でした。3回戦の相手は、サッカーの名門・舟入高でした。そして、あの大事故は試合中に起きました。

 前半30分過ぎ、ヘディングしようと精いっぱい体をそった時に、相手選手が膝を立てて突っ込んできました。腹を蹴られて、息ができなくなり、ウッとうなりながらひざまずいてしまいました。しばらくしたら呼吸が元に戻ったので、普段の接触によるアクシデントだと思い、プレーを続けました。

 しかし、試合が終わった直後に倒れてしまったのです。そのまま担架で運ばれ、病院で診てもらいましたが、外傷がないことから、異常なしと診断されました。その後、普通に電車に乗って家に帰りました。

摘出し50日間入院
 けれども、翌朝トイレに行こうと思ったら、再び倒れてしまったのです。それから、近くの病院に運び込まれて、すぐに血液検査を受けました。赤血球が異常に増えていることから、お医者さんは内臓が破裂している可能性が高いと、すぐに手術に入りました。

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 意識がもうろうとしていたので、全身麻酔をかけられず、局部麻酔でメスを入れられました。局部麻酔での手術は、痛いと思ったらすごく痛いのです。手術中は七転八倒でした。

 結局、腹の下からおへそをよけて、みぞおちまで切りました。脾臓(ひぞう)が破裂していることが分かり、直ちに摘出されました。約50日間入院し、手術跡が癒えるまで、あまりの痛さに苦しみました。付き添ってくれた母に当たり散らしてしまったこともありました。

 退院してから、少しずつ体調が戻り始めると、グラウンドに戻りたくなりました。お医者さんに相談したら、案の定、怒られました。

 サッカーへの夢がしぼみ始めたころです。秋の全国高校選手権県予選で、わが広島大付属高校が残念な負け方をしてしまいました。それを目の当たりにした私は、「よし、やろう」と、サッカーの情熱に火がついてしまったのです。そこで、広島県の医師会長をされている同級生の父親に診てもらいました。腹を触診してもらったり、いろいろな検査を受けさせてもらったりしたところ、結局サッカーをやっていいとは言いませんでした。

夢は諦められず
 ただ、「やって悪いとは言わなかった」と、自分で勝手に解釈して、サッカーを再び始める決意をしました。サッカー部に入部した時に、自分の部屋の天井に「全国優勝」という半紙を貼ってありましたから、簡単に夢を諦めたくなかったからだと思います。

 最初は両親に黙って練習に参加していました。当然、隠し通せるわけもなく、約1カ月後に見つかり、猛反対されました。それでも、何度も頭を下げて説得すると、最後は両親が折れてくれました。

 約1年間のブランクがあったわけですから、サッカー部の皆に迷惑をかけたくない思いから、裸電球の下での個人練習も含めて、必死に練習に取り組みました。ただ、この時期になると、進学校ならではの思わぬ壁が、目の前に立ちふさがりました。
(2014年12月20日号掲載)

=写真=高校サッカー部の仲間たち(写真上・前列右端が丹羽さん)、写真下は当時の丹羽さん
 
丹羽洋介さん