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26 山中巡村 ~岩が割れ「前世界」の遺物~

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 御城下に火災なきは殿様の御徳によるものである。御領分のなかには、よほど火災は発生したが、そのうち後町と三輪は、善光寺の類焼である。上条村が10軒、新町村が98軒、久木村が2軒、外鹿谷村が20軒、下越道村が3軒、花尾村が7軒、南牧村が2軒、吐唄村が4軒、後町村が27軒、妻科村が3軒、安庭村4軒、入山村3軒、鬼無里村7軒、日影村2軒、広瀬村15軒、小鍋村2軒、橋詰村2軒、中条村1軒、三輪村48軒。そのほかに臥雲院などがあった。

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 中村仲多(公事方勘定役)は水練の妙手であった。新町辺りの水湛え(水のたまりぐあい)を見定めるために派遣され、松本より下ってきた通船を雇って乗り回り、所々に縄を下ろして水底を探ったが、水底が急流で、縄では測ることができない。そこで、私が飛び入りて見きわめて来ようと言ったところ、船頭はこれを聞いて「そんなことはどうしてできましょうか」とせせら笑った。そこで仲多、にわかに裸になり、飛び込み、水底に入り、しばらくして浮き上がって船に戻った。このことによって皆に快事として尊敬された。

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 山寺源太夫は山中巡村の時、山穂苅村で見たのは、大岩割で中はことごとく、はまぐりとさざえ類などの貝石であった。少し採集して観察したが、今まで見てきたものと同類であった。

 佐久間修理の説によれば、前世界の遺物という。前世界はまだ国がひらけない以前のことである。

 また、所々から埋もれ木も多く、露出している。これはいつの時代かに、抜け崩れた時埋まったものと見られる。これは北郷村から出たものより大きかった。神代杉の色のようであった。
(2014年11月29日号掲載)
 
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