記事カテゴリ:

27 飯山・須坂 ~被災した人たちに手当金~

 ○御近領異変書上  

27-kyoudoshi-1206p.jpg
  飯山御城下
 飯山藩の家臣団と城下町は地震のために倒潰(とうかい)の上、出火のため半丁ほどの町家は残ったが、その余は焼失してしまった。死んだ人は300人ほどでその上、地形は7尺ほど隆起した。お城の裏門は倒れず、表御門、お櫓(やぐら)、御囲塀などは残らず倒潰した。

 藩主の住居も大広間も、土地が2丈ほども地底へゆれ込んだ。領内の村数は計64カ村あるが、無難の村は一村も無く、潰家、半潰家は2500軒に及んだ。

 死失人は町家、村方合わせて1333人もあり、家臣は男女死53人、そのうち焼失木多助之進、田中源左衛門両家をはじめ、姓名不明の者もある。一統へのお手当は、本潰へは金1分ずつ、半潰へは1朱の割にて下される由、右のうち、吉村という村は山抜押埋りが40軒、地震潰30軒、死失140人余りあり、押埋りへは1軒3分宛下さり、その上、拝借金70両下さる由である。(以下略)

   須坂御領
 綿内村3千石の内、家数700軒余りあり、そのうち500軒ほどが水が入り、流失が15、16軒あり、最初は流失、水入りの人々へは炊き出しだけを行い、金子のお手当はやらない由である。しかし、ようやく当月初旬になってから、流失者たちへは金2両3分2朱ずつ下される由である。また水押、半押でも大変困っている者に対しては、やはり本潰同様下される由。

 水押、半潰の者へ2両ずつ、そして、家居流潰の害が無い者に対しても、難渋している者へは金1両ずつ下さる由。普通の水入りの者へは金2歩ずつ下される由。右のうち土屋坊村小兵衛と申す者親子3人流死について、この者へは金7両2分を下される由。

 綿内村外に水入り候村方5カ村がある由、右の5カ村は普通の水入りなので、金2分ずつ下さる由。5カ村では石数はおよそ2千石ほどもある様子である。
(2014年12月6日号掲載)


 
「むし倉日記」を読む