
早稲田大学2年生で日本代表に選ばれ、ソ連(当時)・欧州に遠征しました。初めての海外遠征で目の当たりにしたのは、新鮮に映るものばかりでした。
最初の遠征地、旧西ドイツのデュースブルクでは、サッカーのための環境が整っていることに驚かされました。
グラウンドは天然芝が8面、土が1面あり、体育館にプール、視聴覚教室、そしてホテルが同一施設内に併設されていました。こういった施設が、国内に15カ所もあることを聞かされ、あらためてドイツが「サッカー先進国」であることを実感させられました。
この光景を見た先輩の川淵三郎さん(当時早大4年・現日本サッカー協会最高顧問)が感動して「いつか日本にも造りたい」と、Jリーグ初代チェアマン時代に実現したのが福島県のJビレッジでした。
基本の大切さ教わる
後に来日し、日本代表のコーチを務めたデットマール・クラマーさんの指導は、基本練習が中心でした。例えば、インステップキックを蹴る時は、足を90度に曲げて甲で蹴る―といったような内容でした。
夜の練習は、体育館で行いました。ペンデルといって、天井からつるされたボールを使って、サイドキックやインステップキックの精度向上に取り組み、さらに、当時の私たちがあまり取り組まなかったヘディングを丁寧に教えてくださいました。頭の振り方や、ジャンプをしながらのヘディングなどです。
実践練習では、2つのことを忘れずにプレーするように言われました。1つは「ミート・ザ・ボール」(ボールを待つな、迎えに行け)。2つ目は「パス・アンド・ゴー」(パスをしたら走れ)でした。
私は、この遠征で全てを吸収しようと思っていたので、クラマーさんから基本の大切さを教わると同時に、足回りやヘディングなどの技術もすごく上達しました。取り組む姿勢を含めて、その後の私のサッカー人生を大きく左右した出会いでした。「感謝」のひと言に尽きます。
この施設では、子どもからお年寄りまで皆が、スポーツを気軽に楽しむために、ホテルのロビーには、ドイツ語で書かれた教訓が大きな板に掲げられていました。「物を見るのは目ではない、心で見ろ。音を聞くのは耳ではない、心で聞け。目そのものは見るだけであり、耳そのものは聞くだけである」。
友からもらった勇気
この一文の意味を聞いた時に、高校時代のある友達が思い浮かびました。小学生の時に、電車に左足をひかれて義足だった同級生の山口邦明君です。
同じ広島大付属高校に進み、一緒にサッカー部に入りましたが、1年生途中からマネジャーを務めることになりました。練習中、遠くに外れたボールを、片足をひきずるように走りながら、拾いに行く姿を痛々しい思いで見ていました。しかし、必死にボールを追いかける彼から勇気を多くもらいました。
途中、くじけそうになったサッカーを続けられることができたのも、山口君の存在があったおかげだといっても過言ではありません。
共に早大に進み、彼は弁護士の道を選び、東京弁護士会の副会長も務め、今でも親交があります。
ソ連・欧州遠征の一行は、ドイツの次の地、ソ連に向かいました。
(2015年1月24日号掲載)
=写真=初めての海外遠征で、ほかのメンバーたちと(中央が私)