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07 全国大会準優勝 ~チームは1・2年主体 破竹の勢いで決勝へ~

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 3年生になると、新入部員の時に7人いた同期の仲間が3人になってしまいました。私たち広島大付属高校は有数の進学校のため、秋の選手権予選が終わると、2年生がサッカー部を辞めて、大学受験に専念するのは仕方がなかったと思います。1年生ながら主力メンバーの一人だった川瀬隆弘は、現役で東大に合格し、卒業後日本銀行に就職し、現在はJリーグの監査役になっています。

 結局、私たちは3年生が3人、2年生が3人、1年生は控えの4人を含めて9人という、1、2年生主体のチーム構成で全国大会出場を目指さなくてはなりませんでした。主将は大島治男、副将は私が務めて新たなスタートを切りました。

優勝して帰りたい
 とにかく、仲間と気持ちを一つにして、目標に向かってきつい練習に耐え抜きました。そして迎えた選手権予選です。

 当時は、全国大会の出場権は都道府県ごとではありませんでした。広島県を制覇しても、山口、島根の代表校とのトーナメント「西中国予選」を勝ち抜かないと、全国切符を手に入れることができません。しかも、広島県には山陽、舟入、修道、広島国泰寺といった優勝候補がそろっており、県予選を勝ち抜くことも至難の業でした。

 ところが、大会が始まると、私たち少人数チームは旋風を巻き起こしました。1回戦から順当に勝ち進み、準決勝では、戦前の予想を覆して、優勝候補の山陽を破りました。

 この大一番の勝利で勢いに乗った私たちのチームは、西中国予選も制し、ついに憧れの全国への切符を手に入れました。やっと全国大会に行くことができるという感慨深さと同時に、優勝して地元に帰りたいという熱い気持ちが沸いてきました。

 その時のメンバーは、後に日本代表に選ばれた大島と私、桑田隆幸(2年)に、メキシコ五輪代表になった小城得達(1年)、桑原楽之(同)と強力なタレントがそろっていました。旋風という表現は合っていないのかもしれません。

 当時の全国大会は西宮球技場で開かれました。私たちは連戦連勝で、破竹の勢いでした。前々日の雨でグラウンドコンディション不良の上、六甲おろしの寒風が吹き荒れた準決勝では、優勝候補の一角、明星(大阪)を2―1で退けました。

大会優秀選手に
 翌日の決勝戦は、当時の新聞で「力の山城と巧者の広島大付属の対戦」とうたわれました。山城(京滋)は、東京、メキシコ五輪代表で第1回日本サッカー殿堂に選出された釜本邦茂さんを輩出した伝統校です。

 高松宮さまの御前試合となった決勝は、息詰まる試合でした。前半13分に桑田が先制ゴールを決めたものの、34分にバックスのクリアミスから追いつかれてしまいました。後半、私たちは圧倒的に攻め込みながらも、相手にコーナーキックからのワンチャンスを生かされて決勝点を奪われてしまいました。

 涙の準優勝になってしまいましたが、大島と桑田、そして私が大会優秀選手21人の中に選ばれたことは、胸を張りたいと思います。

 高校に入学してからサッカーを本格的に始め、さらにけがで1年間活動を棒に振りながらも、頼もしい仲間と目標の「全国優勝」の一歩手前まで近づけたことは、何物にも替え難い経験と財産になりました。
(2015年1月1日号掲載)

=写真=全国大会で準優勝した広島大付属高校のメンバー(前列左から2人目が私)
 
丹羽洋介さん