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171 経済発展 ~御開帳をきっかけにして~

 「今度の御開帳は、物心ついてから9回目か10回目になる。人並みに長生きしたと思う」。近所のお年寄りは感慨深げに話す。

 善光寺御開帳の歴史は、長野市の歴史でもあり、門前町の経済発展のステップにもなった。戦後初めての御開帳は1949(昭和24)年、城山公園周辺を会場にした「平和博覧会」に合わせて行われた。

 御開帳の参拝者数は不明だが、博覧会の入場者数は76万人に及んだといい、戦後の復興に寄与した。この時から商工会議所が参画するようになった。

 「7年目に1度では待ち遠しい。御開帳は毎年でもいい」と、2年後の51年、「如来渡来千四百年記念開帳」を行った。

 けれども、集客はうまくいかず、関係者は「先人の教えと慣例が大切だ」。その後は「7年目に1度」の間隔を尊重した。「世直し御開帳」とも称された67年は、参拝者が150万人に達した。

 札幌や仙台、新潟、広島、福岡などが「支店経済」と位置づけられるのに対し、長野市の経済を大手企業の「出張所経済」と揶揄(やゆ)する表現もある。さらに新幹線開通で「東京本社直轄地区」となり、企業にとって長野は日帰り出張の地域になったともいえる。

 それでも銀行や証券、商社、電機、ゼネコンなどの大手企業の長野赴任者が皆そろって「善光寺信者」になって転勤していくのを見ると、ほほ笑ましい。

 「家族そろって、長野市での数年は忘れられません。妻子はスキー・スケート、ハイキングに山登り、私はゴルフざんまい...。そば打ちも覚えました」と便りをくれるのは、都市銀行の支店長や政府系金融機関の幹部だった人たちだ。

 冬季五輪を控えた1997年の新幹線開通直前、祝賀講演に訪れた三菱総合研究所相談役だった牧野昇さん(1921~2007年)は「善光寺の文化は表日本と裏日本を結ぶ象徴になる」と発言。「文化の交流は人間の血のミックスだ。嫁や婿は遠くからもらうのが良い。新幹線で表と裏の男女が結ばれ、優秀な血脈(けちみゃく)が誕生し、信濃路に定着する。こんなめでたいことはない」と述べた。

 新幹線北陸延伸の意義を先取りした牧野さんの発言は、喝采を博した。今、3月14日の新幹線金沢延伸開業が迫り、経済界などから「新幹線のストロー効果」を心配する声が挙がる。

 「信越線で上京する時、妙高高原駅を過ぎると空がぐんと明るくなる。信州の青空と自然はあこがれだった。金沢市出身で長野市内に住む女性の感慨だ。東京と金沢を結ぶ太く、強いストローの中間点に穴を開けることができるか。ここは、善光寺阿弥陀様の霊力にもすがりたいところだ。
(2015年1月24日号掲載)

=写真=御開帳直前に行われる回向柱の建立式(1991年)
 
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