
はきものをそろえる
はきものをそろえると心もそろう
心がそろうとはきものもそろう
ぬぐときにそろえておくと
はくときに心がみだれない
だれかがみだしておいたら
だまってそろえておいてあげよう
そうすればきっと
世界中の人の心もそろうでしょう
藤本幸邦
◇
いつの世でも、どんな時代でも、未来は子どもたちの双肩にかかっている。その子どもたちに対してかつての子ども、つまり現在を担う大人は何を期待し、何を託したらいいのだろうか。
先の戦争、第二次世界大戦が終わって今年は70年になる。節目の年を迎えるに当たり、基本の基本に立ち返って子どもにも大人にも大切なものは何だろうか。

そう考えつつ探しあぐねていた時、こつぜんと脳裏によみがえってきたのが「はきものをそろえる」と題した詩だった。
作者は、長野市篠ノ井横田にある児童養護施設、円福寺愛育園の園長だった藤本幸邦(こうほう)師である。「円福寺のおっしゃん」の愛称で親しまれ、2009年12月、99歳で亡くなった。
詩の表現そのものは分かりやすい。はきものをそろえると、心もそろう。ぬぐときにそろえておくと、はくときに心がみだれない...。一つ一つ納得がいく。
けれども、簡単なことのようなのに、実行するとなると、思いのほか簡単ではない。何よりも長続きしない。履いたり脱いだり一日に何度も繰り返すので、つい気が緩むことにもなる。こうした難しさを承知するからこそ、幸邦師は着目したのだと思う。
1947(昭和22)年11月23日、東京・上野駅でのことだ。改札口前の長い行列に向かってはだし、裸の子どもたちが「おくれ!」「ちょうだい!」と物乞いの手を差し出す。
戦争で家も肉親も失い、駅周辺で夜露をしのぎながら生き抜く戦災孤児たちである。その中の少年3人連れが幸邦師の目に留まった。
信州へ帰る列車で食べるつもりのリンゴを1個分けてやる。すると1人が1口かじっては次へ回し、3人で仲良く食べ合っている。
国破れ、ひどい食糧難に陥って人心はすさむ一方というのに、この子たちには助け合う精神が健在ではないか。幸邦師は感動した。
3人を篠ノ井の南外れ、千曲川の近くにある円福寺に連れて帰る。後の児童養護施設へとつながる第一歩だった。身寄りのない子たちの親となり、わが子同然に育てる。その大変さは、経験してみなくては分かるまい。

篠ノ井駅から歩いて約30分、円福寺愛育園に着くと、「はきものをそろえる」と刻んだ碑や額が出迎えた=写真。まずは足元を照らし、そして理想を高く掲げる志が、しっかりと伝わってくるのだった。
〔戦災孤児〕空襲などの戦火で家を焼かれ、親を失った子どもたち。大陸からの引き揚げ孤児を含め約12万人を数えたとされる。「浮浪児」などとも呼ばれ、戦争の悲痛な犠牲の一つ。
(2015年1月1日号掲載)
=写真上=円福寺愛育園のある横田地区