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79 背に腹は替えられぬ ~「お宝」を下張りに~

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 「今から見ると、襖の下張りに、『あれ』を使ったのは、もったいなかったな」。

 日本画家の高橋雲峰が、こう残念がる話相手は、出入りのある松代町紙屋町の表具屋、聲香堂(せいきょうどう) (現在は廃業)の店主、山岸栄助さん(1968年、78歳で没)=写真。当時の二人の茶飲み話を耳にしたのは、栄助さんの息子、学さん(86)で、「あれ」とは、佐久間象山の資料を指している。

 雲峰に関しての事績を学さんから聞いていた時、本紙10月25日号の1面などで掲載した「真田邸ふすまの下張りから領収書」の記事を読んで思い出したと、昔耳にしたこの話を語ってくれた。

 それによると、栄助さんは和菓子職人だったが、書画骨董(こっとう)が大好きで、自分でも絵を描く趣味があった。高じて、表具師になるため東京へ出て修業。後に松代で開業した。

 終戦直後に、千曲市雨宮の個人宅から襖の張り替えの注文を受けた。当時、物資は不足していて、下張りに使う木紙(日本紙)も欠乏していた。そこで、聲香堂は「背に腹は替えられぬ」とばかり、手元にあった象山の資料を、下張りに使ってしまったというのだ。

 その資料は、象山が生萱(千曲市)での巨砲の試射実験に関する内容が含まれ、絵や図形も記入されていた貴重な文書である。大切に保管・保存しておいたものだろうが、仕事のためには仕方がなかったと思われる。

 表具屋は、かつてはやった時代があった。正月には新しい襖に替えるという歯医者や医者の家、婚礼の時には張り替えるという家も多く、忙しかった。

 ところが、高度経済成長が終わるころから家屋のリフォーム、改築ブームが起こり、若い世代の人たちは襖を撤去した。床の間のない家が目立ってくるとともに、表具屋の仕事も減少していった。

 象山の「お宝」を下張りした雨宮の民家は不明で、現在、襖があるのかないのか分からないという。
(2015年1月10日号掲載)
 
象山余聞