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03 信仰する人々 ~戸隠講 東北から近畿に~

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 戸隠神社には、一般の神社のような氏子がいない。崇敬者の中心となるのは、「戸隠講」の人々だ。

 中世以降、現在の中社・宝光社の聚長(しゅうちょう)に当たる僧侶は、「戸隠御師(おし)」として諸国を行脚して信仰を広め、信徒を増やしていった。各地の信徒は、地域の有力農家などを中心に講社を組織した。講社は、近村や善光寺平をはじめ信越、関東、中京に多く、北は東北、西は近畿に及ぶ。

 水や農耕をつかさどる九頭竜神信仰が根底にある戸隠神社の講員は、農家が多い。春の田植え後、秋の稲刈り後などに収穫した米を携えて聚長の旅館に泊まり、参詣するのが基本だ。正月には、聚長から講員へ、お札とおみくじ、その年の天候や農作物の作柄を占った「種兆(たねうら)」(いわゆる「お判じ」)が配られる。かつては聚長がこれを担ぎ、春にかけて講世話人(講元、講長とも)の家を泊まり歩いて配ったというが、今はまとめて世話人に郵送することが多い。

 栃木県佐野市の田沼戸隠講は、信仰心のあつい講社の一つ。毎年戸隠を訪れるようになって62年。さらにここ30年間は、春と秋の年2回、30数人で参詣を続けている。講元で元会社経営の立川勝由さん(80)は「家族の皆が健康で、にこにこと和やかに暮らせるのはありがたい。元気でいる限り長野へのお参りを続け、戸隠の神々に手を合わせたい」。

 各聚長が持つ講員数は「企業秘密」とされ、神社全体の信徒数も判然としないが、大正時代の文書には「お判じ」の配布数が「28万5800」とある。現在の講員数について同神社責任役員の二沢久昭さんは「10万人ぐらいではないか」。農家の減少や高齢化で、講員は減っている。

 「後継者をいかに増やすかが一番の課題」。須坂戸隠講の講長で、衣料店など経営の浅野隆一さん(72)=須坂市=は話す。須坂中心市街地の同講は明治時代に発足し、養蚕と製糸で栄えた明治から大正期に300人を超えていた。現在の講員数は約220人。毎年8月、30人前後で戸隠に参詣しているが、高齢化が進んでいるという。

 浅野さんは「戸隠さんの長い歴史を学んでもらうことで、興味を持つ人を増やせないか」と発想。2012年に、一般に開放して歴史学習会を開いた。「戸隠さんにはこれからもお世話になる。人が減るなら、新しい活動をしていかなければ」。今後も講社を次代へつなぐ工夫を続けていきたいと話す。

 伝統的な講員が減少する一方で、新しい動きもある。毎年社員らをとりまとめ、バスを連ねて参詣する企業経営者や、研修を兼ねて定期的に訪れる同業者団体がある。個人で参拝したことをきっかけに信仰を深め、「お札を受けたい」と望んで申し出た「一人講」の人々も増えている。

 「コアな崇敬者が戸隠に付きつつある。こういう人々の存在で、戸隠の信仰が守られていく」と聚長の一人、築山泰之さん(37)。戸隠の地が持つ霊的な力が、人々の心を引き付け続けている。
(2015年2月14日号掲載)

語り合う須坂戸隠講長の浅野さん(右)と聚長の久山勝彦さん。
歴史学習会では久山さんが講師を務めた(1月22日、長野市内で)