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11 旧ソ連などで ~大敗し屈辱を味わう 本場のプレーに興奮~

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 2番目の遠征地・旧ソ連では、当時、現地に住んでいた女優の岡田嘉子さんが激励に来てくれて、興奮したのを覚えています。

 モスクワでは、旧ソ連のクラブNO1チームで、名門のトルベッドとレーニン・スタジアム(現ルジニキ・スタジアム)で対戦しました。グラウンドから見上げると、8万人もの観客が収容される異様な大きさに、圧倒されました。それが原因ではないですが、試合は0―8と、全く歯が立ちませんでした。

 ドイツでふがいない試合をした際に、指導してくれたクラマーさんから「大和魂があるだろう」と、気合を注入されていただけに、思わぬ大敗にショックを受けました。

 スイス・イタリアへ
 さらに、悔しさを倍増させられたのが、試合後の懇親パーティーでの関係者の発言でした。「国際試合で2桁得点を入れると、相手チームに失礼だから8点で抑えておきました」。思わぬ形で屈辱を味わわされましたが、実力差があったので仕方がないと、かみしめるしかありませんでした。

 タシュケント、アルマータでは、相手選手の体が大きかったのに驚かされました。ボールを奪おうとカットにいくと、目の前に相手のお尻があるくらいでしたから。

 ミンスクは白ロシアとも呼ばれているように、遠征時は白夜が続いていました。もちろん寝不足になりましたが、若かったこともあって、疲れは感じませんでした。やはり、目に入るものが新鮮で、毎日が楽しかったからだと思います。

 次に、スイスに移動しました。グラスホッパー・クラブ・チューリッヒとの対戦は強く印象に残っています。1890年に発足したスイススーパーリーグで、最多の27回も優勝を誇る名門クラブを相手に善戦したからです。

 遠征の最終地はイタリアでした。何ともいえない興奮を覚えたのは、1960年ローマ五輪で使用されたスタディオ・オリンピコで試合ができたことと、セリエAの試合を観戦したことです。本場のプレーを見ながら驚いたことは、ボールを持ったら取られないで、必ずシュートまで持っていくことです。華麗なボールさばきには感動しました。私たちのサッカーはピンポンみたいでしたから、改めて技術の差を感じました。

 成長に手応え
 50日間にも及んだ遠征は、技術、精神の両面とも大きく成長させてくれました。世界最高水準のサッカーを体験できたこともそうですが、国内トップレベルの先輩たちと行動を共にすることで多くのものを得たからです。コンディション調整の仕方、ゲームの入り方、試合のない時の過ごし方など、日頃聞けないことを聞くことができました。

 また、遠征チームの監督は、日立製作所サッカー部の高橋英辰さんが務められていました。トップレベルの先輩たちがいる中、私のような20歳の若造を数多くの試合に出していただきました。遠征の終わりころには、先発もありました。出場機会を与えていただいたことで、頑張ろうという強い気持ちもあって、自分でも上手(うま)くなっている手応えを感じていました。本当に大きな50日間でした。
(2015年1月31日号掲載)

=写真=イタリアで日本大使館を訪問した代表チーム一行(左から3人目、座っているのが私)
 
丹羽洋介さん