千曲川旅情の歌
島崎藤村
小諸なる古城のほとり
雲白く遊子(ゆうし)悲しむ
緑なすはこべは萌えず
若草も藉(し)くによしなし
しろがねの衾(ふすま)の岡辺(おかべ)
日に溶けて淡雪流る
◇

春は光に乗ってやってくる。吹く風は冷たいけれども、日差しが肩や背中に温かい。
まだあちこちに雪の消え残る小諸城址、懐古園を歩いた。三の門をくぐり、石垣の間の緩やかな坂をたどる。黒門橋を渡り、右手に進むと、向かう先に島崎藤村の代表作の一つ「千曲川旅情の歌」の詩碑がある=写真右。
道々流麗な五七調の詩句がしきりによぎる。
小諸にある古城の近く、白い雲の浮く青空の下、旅人が独り物思いにふけっている。緑色のハコベは萌(も)え出ていず、若草の上に腰を下ろすこともできない。
遠く見渡せば、雪をかぶった丘が布団のように広がっている。日差しを浴びてキラキラ淡雪が舞う。
詩碑は、巨大な花崗岩を据え付けて堂々としていた。すぐ西側を千曲川に流れ下る栃木川から運び上げ、藤村の自筆を刻んだ銅板をはめ込んだ。
読み進むうちに一段と旅愁は深まり、孤独な詩情の魅力に引き込まれていく。

あたゝかき光はあれど
野に満つる香も知らず
浅くのみ春は霞みて
麦の色わづかに青し
旅人の群はいくつか
畠中の道を急ぎぬ
陽光は注いでいても春なお浅く、わずかに麦だけが青々としている。その中を行商人だろうか、何組かの旅人が通り過ぎていく。そして夕暮れが近づいた。
暮れ行けば浅間も見えず
歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の
岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飲みて
草枕しばし慰む
それまで鮮やかに映えていた浅間山も、濃い闇に包まれて見えなくなった。千曲川の波音が響く宿に入り、酒を飲みながら孤独な寂しさを慰めるほかない。
藤村は1899(明治32)年4月、小諸義塾の教師に招かれ、小諸にやってきた。1905年4月まで6年間滞在する。この詩は小諸生活2年目、数え29歳の作だ。前年に北海道函館の網問屋の次女冬子と結婚している。文学上の歩みでは、詩から散文へ転換を模索していた時期である。
だから、「初恋」をはじめ、第1詩集「若菜集」で高らかに打ち上げた青春の高揚感はない。むしろ人生の重荷をにじませつつ、悲哀、憂愁の色濃い内容になった。

詩碑そのものは27年後の昭和2年7月の建立だ。2連からなる詩の前半が刻まれている。藤村56歳、除幕式には出席しなかった。翌々年、お忍びで足を運んでいる。華やかな場面は避けたかったらしい。
そこからスロープ伝いに水の手展望台へ。眼下に千曲川が一筋の青い帯となって北上する。しばし寒さを忘れさせる光景だった。
〔旅情が元の題〕発表された当初のタイトルは「旅情」。後に「昨日またかくてありけり」で始まる作品と合わせ、前後2連の「千曲川旅情の歌」と名付けられた。
(2015年2月7日号掲載)
=写真2=懐古園の下を流れる千曲川