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080 ツクシ ~生き生きと春を迎える喜び~

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 ツクシ
      シモダイラ・ケイコ

ツクシガ デタ。
チイサイノガ ヒトツデタ。
アッタカイノデ
「ボク デル」ト イッテ
デタノカナ。

   ◇

 山国の春は遅い。じっと耐えて待ち続け、ようやく「もう春ですよ」と告げてくれる。うれしい代表格の1つがツクシだ。枯れた草むらに1本また1本、それを見つけた時の喜びといったらない。

 小学1年生シモダイラ・ケイコの詩「ツクシ」が、生き生きと証明している。感受性が豊かなのだろう。詩心が初々しいのだろう。もえ出る小さな命を発見した感動が伝わってくる。

 この詩は、太平洋戦争が始まる前年の1940(昭和15)年、詩人で児童文学者の百田宗治が編集する「一年生ツヅリカタ絵本」(コドモノクニ)に載った。「長野県上伊那郡春近校 田中ふさ子指導」との紹介付きである。

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 作文を通じて子どもたちの感性を伸びやかに育てた信州の教師、田中ふさ子。彼女は16(大正5)年8月1日、現在の伊那市入舟に生まれた。数え20歳で南アルプスの麓、山間へき地の南向(みなかた)村(現中川村)桑原分教場の代用教員になる。

 同じく山地の葛島(かつらしま)分教場を経て3年後、郷里近くに転任した先が春近尋常高等小学校だった。ここで受け持った学級の文集「春近の子ども」を通じ、下平京子の詩「ツクシ」に、百田ら生活綴方(つづりかた)運動のリーダーが目を留める。

 とはいえ時代は、戦争に備える厳しさを刻々加え、子どもたちといえども少国民として国家総動員体制に組み込まれていく。教室ごとに独自性を発揮できる余地は狭まり、「ツクシ」が広く注目されるのは、戦後を待たなくてはならなかった。

 昭和20年代、生活綴方運動が再び活気づき、「ツクシ」も「学年別作文読本」「日本児童詩読本」などに相次ぎ登場する。そして最初に文集「春近の子ども」に載った際は、より生活感のある原型だったことも確認された。

ツクシガ 小サクデタ。
マダ ヒトツッキリ デテキタ。
イマハ トラナンデ
大キクナッテ トル。
アッタカイノデ
「オレ デル」トイッテデタノカ
ヒトリボッチョデ キタ。

 「イマハ トラナンデ」「ヒトリボッチョデ」といった言い回しに、山の1年生らしい純朴な情愛がにじむ。指導したふさ子先生の教師としての力量の確かさもうかがわせる。

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 しかし既に、ふさ子はこの世の人でなかった。春近校から今の駒ケ根市の中沢国民学校に移り、兄が開業した医院を手伝うため退職。43(昭和18)年1月25日、急病で26歳3カ月の短い生涯を閉じてしまう。

 伊那市入舟は飯田線の開通以前、天竜川を行き交う川船の港があった。昔も今も変わらず、水の流れだけは陽光にきらめいている。

 〔生活綴方教育〕身近な日常を見詰めさせて表現する作文教育。戦時に弾圧され、戦後になって多彩な実践が展開される。無着成恭の「山びこ学校」などが名高い。
(2015年3月21日号掲載)

=写真=伊那市入舟の天竜川沿い
=絵=ツクシ(かの よしこ)
 
愛と感動の信濃路詩紀行