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173 七味唐辛子 ~健康祈願で門前に根付く~

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 県外へ出張する機会が多い長野市内の営業マンの話だ。「手土産に、七味唐辛子が意外に好評です」

 5、6種類の小袋や容器の詰め合わせを持って行くと、営業先の社員は3時のおやつの菓子折りと思い、開けてびっくり。社員で分けて持ち帰ったところ、家庭で重宝している―。そんな礼状が届く。

 「自分の会社が善光寺のお膝元にあることを知ってもらい、印象が深められるようです」と、営業マンは七味唐辛子の効果を話す。

 門前町の土産に七味唐辛子というのは、全国の寺社でもよくある。

 善光寺のほか東京の浅草寺、千葉県の成田山新勝寺、京都の清水寺、大阪の石切神社などが有名だ。

 寺社と七味唐辛子がなぜ結び付いたか。

 神仏に祈る大きな理由は、病気治癒や長寿だ。だから、門前に薬屋が集まった。

 徳川家康は、薬研(やげん)を使って自分で薬を調合したとされる。薬研は鉄製の舟形の道具で、くぼみに薬草を入れて、車輪を行き来させて自ら薬を作る。浅草寺は徳川の祈願所であり、薬種問屋や漢方の店が集まった。同寺近くには、七味唐辛子の老舗「やげん堀」がある。

 漢方の薬は草根、木皮の類いだが、唐辛子の七味は各種のトウガラシのほか、ゴマ、サンショウ、シソ、アサノミ、チンピ、ショウガだ。これらのスパイスを干して砕いてミックスして調味に使う文化は、16世紀に南蛮船がもたらした南米原産のトウガラシだ。トウは「舶来」という意味だ。

 善光寺の門前にあり、七味唐辛子を買い求める参拝者らでにぎわう「八幡屋礒五郎(やわたやいそごろう)」は、1730年代(江戸中期)の創業である。

 初代の勘右衛門は鬼無里の出身。2代目が江戸で唐辛子の店で修業して帰郷し、境内の高札前の露天で売り出した。その後、大門町に出店。代々、調合の味を工夫して、繁栄の地歩を築いた。

 浅黒い和紙に墨の印判を記した小袋は、4代目のアイデア。よく知られたブリキ缶を作ったのが6代目という。

 それほど有名ではない寺社の境内でも、露天のような小店が軒を並べ「甘辛、お気の召すままに」という口上で、七味唐辛子の調合度合いを競っている。

 「やげん堀」はゴマの風味が強く、清水寺門前の「七味屋本舗」は京都らしく、はんなりした香りだ。大手メーカーが出している七味唐辛子の調合には、地方色があふれている。一概には言えないが、西日本は辛みが強く、一味が多く、東は香り重視のように感じる。その土地の麺や汁など、食文化に合わせて変化している。御開帳で訪れる参拝者の土産を通して、善光寺門前の七味唐辛子の味が全国に広がっていく。

=写真=1952年に大門町に開店した当時の八幡屋礒五郎
 
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