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19 ムルデカ大会 ~日本代表で全試合に 充実感満ちあふれる~

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 マレーシアが「マラヤ連邦」として1957年に独立した記念に創設された国際大会がムルデカ大会です。ムルデカはマレー語で「独立」の意味です。大会は毎年行われ、日本は第2回大会から参加していました。当時はアジアのナンバーワンを決める大会であり、各国ともベストメンバーで臨んでくるので、厳しい戦いになりました。

 私は、1968年の第11回大会に、日本代表メンバーの一人として選ばれ、8月9日から25日までの17日間、クアラルンプールとイポーで行われた7試合全てに出場しました。

気候・食事に苦戦
 現地の昼間の暑さは半端ではなく、練習中は目がクラクラするほどでした。ただ、試合が行われる夜は、熱帯気候特有のスコールで、幾分涼しくなりましたが、湿度が高いのには悩まされました。

 さらに、食事も思わぬ敵になりました。大会中の宿泊所はマレーシア大学の学生寮でした。学生食堂で出された食事は、調理油と香辛料が独特の香りを放ち、暑さも重なり、食欲がなくなってしまったのです。ですから、日本から持参した梅干しを、ご飯にのせてお茶漬けにして食べたのですが、ボリュームのある食事を取れなくて、本当に参りました。

 この大会では、地元のマレーシアが8年ぶりの優勝を飾りました。大統領をはじめ、国全体が久しぶりの歓喜に向けて、盛り上がっていました。マレーシアが出る最終戦の前に、私たち日本が順位決定戦に臨んだのですが、そのころから地元の人たちが詰め掛け、結局、観客は3万8千人にも膨れ上がっていました。

 大会に出場していた西オーストラリアや中近東のチームは、そのころからヨーロッパのプロチームで活躍する選手が多くいて、レベルが高かったですね。インドネシア戦では、私がマークしていた相手のFWが、当時では珍しいオーバーヘッドキックをしたことに驚かされました。

 また、韓国代表には、軍隊で構成されたチームから選抜された選手が多くいたので、まさに国を背負って戦っている感じで、鬼気迫るプレーでした。

 難敵を破る
 印象に残っている試合が、第3戦の西オーストラリア戦でした。韓国を一蹴し、日本が敗れたインドネシアに逆転勝ちした難敵でした。しかし、1点を守り切り、見事勝利したのです。当時の山路修日本選手団長が「無我の境地から活路を見いだした貴重な体験を、選手たちも忘れてはならない」と、振り返っていました。

 私は、第2戦で相手選手と接触して脳振とうを起こしてしまいましたが、何とか最後まで精いっぱい、戦い抜きました。ただ、その試合の終了後、3時間に及ぶバスでの移動中、ずっと頭を氷で冷やしていなければなりませんでした。

 この大会で、日本は4勝3敗と、12チーム中7位に終わりましたが、平木隆三監督ら情熱を持った指導者に、主将の鎌田光夫選手らメンバーに恵まれ、充実感に満ちあふれた大会になり、本当に貴重な経験をさせてもらいました。
(2015年3月28日号掲載)

=写真=ムルデカ大会に出場した日本代表メンバー
 
丹羽洋介さん