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23 長野に出向 ~ディーラーの社長に会社・社員に恵まれる~

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 静岡マツダでは工員さん10人と営業を経験し、マツダオート石川では8年間、代表者として出向しました。経営が何たるかも分からないうちにスタートし、悪戦苦闘の日々でした。しかし、多くの人たちから協力していただき、成果を生み出すことができました。
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 その後、メーカーにとって最も大切な市場でもある大阪の管轄部長を経験しました。そして、マツダオート長野へ出向しました。

 信濃マツダ社長の西沢正僖さんがマツダオート長野を経営されていましたが、マツダオート長野はメーカーから出向して経営することになりました。1987年、私が3代目の社長として代表に就きました。

さまざまな賞を獲得
 マツダオート長野は、内容が非常によい会社でした。店舗もいい場所にあり、社員もまじめで、我慢強くこつこつと働き、社内の体質も優れていました。

 そのため、販売シェアも高く、一時、マツダは全店で県内の10パーセントをキープした時もありました。これはマツダ店、マツダオート店が、好ライバルとして競争し合った結果だと思います。

 サービスマンの技術力、接客力もマツダディーラー100社の中で、トップクラスでした。ですから、お客さまの信頼も厚く、代々マツダの車に乗っていただける多くの固定ユーザーがいました。

 サービスの固定費カバー率も抜群で、秋に行われる全国マツダサービス技術コンテストでは、信濃マツダとマツダオート長野が常に上位を占めました。

 創立30周年記念では経営優秀賞を取り、次に受賞した時にはハワイ旅行をすることを目標に掲げました。社員も一層積極的に企画を立ててくれるようになり、4年目に経営努力賞、そして5年目に見事、経営優秀賞を獲得し、全社員260人がハワイで受賞を喜び合うことができました。

 さらに5年後の40周年では再び経営優秀賞を取り、今度は香港行きを果たしました。優秀な会社に店舗、そして優れた社員に恵まれたことは、本当に感謝に堪えません。

 マツダを代表して長野県自動車店協会の常任理事の一人となり、中古車部会長もおおせつかりました。健康保険協会が所有していた野球場を駐車場に、体育館をオークション会場にしてディーラー、業者さんに声を掛けて、1カ月に1回のオークションを開きました。

立派な経営者たち
 当初は出品、来場者数も少なかったのですが、中古車部会の人たちにも尽力してもらい、活発なオークションになりました。

 ディーラー経営で、中古車を制するものは、いい経営ができると言われており、中古車販売で失敗することは許されませんでした。

 当時の長野県自動車店協会は、トヨタの宇都宮元さん、ダイハツの和田守也さん、信濃マツダの西沢正僖さん、いすゞの宮沢脩さんと、そうそうたる経営者がおられました。3カ月に1回の常任理事会は緊張しましたが、大変勉強になりました。考え方、事の進め方など、多くの教えが今も生かされています。

 私もマツダ、トヨタと、全国のトップの人たちと出会いました。長野ほど立派なディーラー経営者がいる県はほかにないと思います。
(2015年4月25日号掲載)

=写真=県自動車店協会が行った第100回記念オークション
 
丹羽洋介さん