千年の昔も今も乳房ある胸に土偶がもの考へる
窪みたる眼かにて我を見る土偶いささかだにも翳りは持たず
宮原茂一
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かわいらしく、同時にたくましい。魅力がいっぱい、そして謎めいている。限りなく素朴であり、しかも一つ一つ個性的で奥が深い。
縄文時代の土人形「土偶」と向き合うと、はるかに遠い世界へ、ぐいぐい引き込まれていくような思いに駆られてくる。どんな願い、祈りを込めて作られたのか、あれこれ想像力をくすぐってやまない。
現在の長野市上高田に生まれた昭和の歌人宮原茂一は、 この土偶によって詩心を喚起された1人だ。
近代短歌の太い潮流を担った明治大正昭和の歌人・国文学者太田水穂に師事し、作歌に励む傍ら考古学にも熱意を注いだ。塩尻市の平出遺跡発掘などに携わっている。そんな経験があればこその、冒頭の2首に違いない。
確かに土偶は必ずといっていいほど、胸に乳房をくっきりとさせている。1首目で歌う通り昔も今も、変わらぬ女性の象徴的な姿だ。それはまた、どこか物思いにふけっているようでもある。
大自然に包まれて生かされ、草木や鳥獣と共にある縄文人の純粋な精神ゆえだろうか。掘り出されて数千年の眠りから覚めた土偶と対面する時、おののきにも似て心震える。
2首目。くぼんだ目の奥からこちらを眺める土偶には、少しの暗さもない。その純粋さに現代人は、とかく圧倒されざるをえない。4、5千年もの時空を隔て、人と人の魂が触れ合い、共感し合うのではないだろうか。

土偶といえばこのところ、信州ではうれしい話題が相次いでいる。茅野市棚畑(たなばたけ)遺跡から出土し、1995年国宝に指定された「縄文のビーナス」=写真上。2014年には、同じく茅野市中ッ原(なかっぱら)遺跡からの「仮面の女神」=同右=が国宝に輝いた。
15年に入って今度は隣の諏訪郡富士見町、坂上遺跡から出た土偶が重要文化財の栄誉である。いずれも八ケ岳西南のすそ野、標高1000メートル前後、コナラや栗など広葉樹の森で、縄文文化が豊かにはぐくまれていたことを物語る。
例えば縄文中期、今から5000~4500年前の「縄文のビーナス」は高さ27センチ。顔、胸など上半身は比較的細身だが、腹部は大きく突き出ている。腰も尻もさらに巨大で、太ももがまたたくましい。
多産、豊作への祈りが込められているとされるけれども、その大胆で迫力十分な立像は、美術的なセンスとしても非凡なものを感じさせる。現代人の鑑賞眼を満足させるだけの造形美を備えている。
東に赤岳(2899メートル)はじめ八ケ岳の山々が視野いっぱいに広がる縄文の里。雄大な景色の下で生命力あふれる美の世界が、多彩に花開いたのだった。
〔縄文時代〕網目模様の土器の移り変わりにより草創期から早・前・中・後・晩期まで6期に分けられる。土偶はとくに中期以降に数が増え、盛んになった。
(2015年4月4日号掲載)

=写真右=「仮面の女神」が出土した中ッ原遺跡