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83 漢詩贈られる ~玄瑞のひ孫と交流~

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 幕末のある日、教えを乞うために蟄居中の佐久間象山を訪ねた長州藩士、久坂玄瑞(くさかげんずい)。その玄瑞のひ孫にあたる久坂恵一さん(故人)と交流していた男性が須坂市にいる。

 長野商業高校から大阪の証券会社に就職。京都に在住して幕末維新の歴史を研究した勝山昌晴さん(77)。当時の勝山さんの名刺には、京都長野県人会事務局長、木曽(源)義仲公復権の会理事、佐久間象山先生顕彰会京都の会常任幹事、ほかの役職が列記されている。

 玄瑞は吉田松陰の一番弟子で松下村塾に学んだ。資料には「攘夷運動に邁進。禁門の変に敗れて自刃。象山暗殺の『指嗾(しそう=そそのかし)説』がある」の記述が。そこで、「玄瑞は暗殺の黒幕だったのでは」と質問した。

 勝山さんは「それは説であって、確認は取れていない歴史の謎」とかわす。2人の縁は1996年、高井鴻山顕彰会からの依頼で、恵一さんの鴻山と象山の墓参訪問を勝山さんがセット。交友が始まった。その後、恵一さんから次の漢詩が勝山さんに贈られた。

 研尋史策幾星霜
 螢雪功成識見昌
 華甲躋來猶欲極
 信州氣格吐清香

 史策を研尋して幾星霜 蛍雪功成り識見昌(さかん)なり 華甲(数え年61歳)躋(のぼ)り来て猶極めんと欲す 信州の気格清香を吐く

 また、勝山さんが呼び掛け人となり、91年4月14日、京都の妙心寺に眠る象山の墓前に長野県人約70人が駆け付け、法要が行われた。

 勝山宅の玄関には、この時の写真が飾られている。そこには、「折りにあえば 散るもめでたし山桜
 めずるは花の 盛りのみかは」の象山辞世の句も。玄関を出入りするたびに黙礼を欠かしたことがない―と、勝山さんは話す。
(2015年4月11日号掲載)

=写真=法要の写真を指す勝山さん
 
象山余聞