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24 サッカー協会 ~アルウィンに関わる グラウンド建設進む~

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 マツダオート長野の社長に就任した際、ジュニアサッカースクールの裾花FCを設立しました。そのことで、ジュニアサッカー指導者の人たちとの縁ができ、長野市サッカー協会の副会長を務めることになりました。

 また、40歳以上が参加するサッカー大会にも出場していたことから、長野県高校サッカー選手権決勝戦のテレビ解説をさせていただくようになり、サッカー普及の活動が徐々に広がっていることを肌で感じました。

 そんな折、市協会10周年記念事業の一環として、「ながのアド・ビューロ」のご協力を得て、1999年に鹿島アントラーズ対ジェフユナイテッド市原(現千葉)のJ1公式戦を長野運動公園で行いました。

Jリーグを招待
 当日の朝6時には鹿島のサポーターが並び、試合が始まると、スタンドは1万1千人もの観客で膨れ上がりました。入場制限をせざるを得ない状況になりましたが、Jリーグの広がりを感じるとともに、長野にもサッカー文化が根付き始めたのかなと感じました。

 その後、市サッカー協会の会長になり、県サッカー協会の副会長も兼任しました。そのため、アルウィンの建設にも関わり、県庁に何度も足を運び、折衝しました。

 さらにアルウィンのこけら落としの実行委員長に任命されたため、Jリーグを呼ぼうと企画しましたが、なかなかOKをもらえませんでした。苦心の末プレシーズンマッチ、アビスパ福岡対サンフレッチェ広島戦を招待することができ、6千人の観客が集まりました。

 2002年の日韓共催W杯では、出場国のウルグアイがアルウィンでキャンプを行いました。主将だったGKのチラベルトは、調整の時間を割いて松本市内の養護施設を回ってくれました。彼の行動には感謝でいっぱいでした。ですから、その後、彼に敬意を表して、秋の小学生サッカー県大会の名称をチラベルト杯としました。

 W杯の余剰金32億円を利用して、日本サッカー協会(JFA)が各県に、人工芝のグラウンドを造ろうと提案しました。

 そこで、裾花FCで当時、千曲市の宮坂博敏市長のお孫さんを教えていたこともあり、相談に伺ったところ、近藤清一郎副市長も乗り気になってくれました。川淵三郎日本サッカー協会長に一度は断られましたが、市役所の人たちに多大な協力をいただいたおかげで、千曲市に人口芝グラウンドの競技場を建設することができました。

さらに盛り上がりを
 幸運にもその後、JFAが独自で用意した予算で人工芝グラウンドを建設する企画も、松本市の市サッカー場で実現しました。

 2007年からJFAが、サッカーの普及と子どもの健全な心身の育成に寄与することを目的に、「JFAこころのプロジェクト」を始めました。スポーツ選手、指導者を「夢先生」として、小学5年生を対象(原則)に全国各地の学校に派遣し、1時間半の活動をします。県内も、岡谷市、高森町、川上村、上田市、松本市、千曲市などで行われています。

 AC長野パルセイロ、松本山雅FCの活躍もあり、県内でもサッカー熱が高まっています。信州サッカーがさらに盛り上がってほしいと願っています。
(2015年5月2日号掲載)

=写真=千曲市との「JFAこころのプロジェクト」協定締結式に出席した川淵三郎さん(左から3人目)と私(同2人目)=千曲市提供
 
丹羽洋介さん