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084 夕焼小焼 ~心の原風景に響く郷愁の音~

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夕焼小焼 

             中村雨紅作詞
             草川 信作曲

夕焼小焼で 日が暮れて
山のお寺の 鐘が鳴る
お手々つないで 皆帰ろ
烏と一緒に 帰りましょう
 
   ◇

 長野市街地の北西寄り、大峰山(828メートル)の山腹を展望道路が巻いている。善光寺の大屋根を眼下にしながら歩いていくと、道沿いの倉庫のシャッターに、黒々と大きく、達筆な文字が目を引いた。

 〈夕やけ小やけで 日が暮れて 山のお寺の 鐘がなる...〉。すぐに童謡「夕焼小焼」の歌詞と分かる。

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 一帯は夕焼けの名曲を生んだ舞台だ。さらに進めば「かるかや堂往生寺入口」の標柱が立っている。急坂の参道をあえぐこと10分足らず、石垣を積み上げた境内には「夕焼の鐘」と名付けられた鐘楼がある。歌碑=写真下=もある。

 ここからほぼ南へ直線で2キロほど、旭山(785メートル)のふもと平柴の阿弥陀寺でも、「夕焼小焼」の碑が、訪れた人を懐かしい童謡の世界へ誘い込む。傍らの釣り鐘も歌われている通り、〈山のお寺〉の情景をまざまざとさせる。

 毎日決まって「ゴーン」と時を告げる響きならば、市街地では何といっても善光寺の鐘の音だろう。

 3つの寺を結ぶほぼ三角形の一角、長野市県町で作曲者草川信は生まれ育った。「夕焼小焼」のメロディーがわき出てくる素地は、幼いころから培われていたのではないだろうか。

 一方、作詞者の中村雨紅は東京都下、現在の八王子市の人だ。といっても旧南多摩郡(恩)(おん)(方)(がた)村上恩方、神奈川県境の陣場山(857メートル)を控えた山あいである。

 そこの神社の宮司を務める家に生まれ、本名は高井宮吉。小学校の教師になって都内の学校へ通う。自宅と八王子駅との間16キロを毎日3時間、歩いて行き来した。

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子供が帰った 後からは
円い大きな お月さま
小鳥が夢を 見る頃は
空にはきらきら 金の星

 夕焼けに燃えた西空が次第に暗くなるにつれ、東の空からは真ん円い月が昇ってくる。さらに夜は更け、星が瞬く。時間の経過とともに1番から2番へ、音が主役の世界は光の世界へと変わる。

 忙しかった日中から安息の夜へ、つまりは動から静へ、人の心を穏やかに包む。しみじみと安らぐ懐かしさが、忙しい日常に潤いをもたらし、明日の希望につなげてくれる。

 この詞が1923(大正12)年、草川信の手元に渡った。いまだ老若男女幅広く愛される曲が仕上がり、楽譜集「あたらしい童謡」の1曲に加わって製本される。その1カ月後、あの関東大震災である。

 死者・行方不明者約10万5千人。廃虚と絶望の時代を持ちこたえ、よみがえった運命の歌でもあった。
 (JASRAC 出1505371―501)

 〔夕焼け小焼け〕太陽が沈むころ、西の空が赤く染まって見える現象が夕焼け。その夕焼け色が次第に薄れ、残照が闇に紛れていくことを小焼けと称する。
(2015年5月23日号掲載)

=写真1=鐘が時を告げる善光寺
 
愛と感動の信濃路詩紀行