
めえめえ児山羊(こやぎ)
藤森秀夫作詞
本居長世作曲
めえめえ 森の児山羊
児山羊走れば 小石にあたる
あたりゃ あんよが あ痛い
そこで児山羊は めえと鳴く
◇
子どものころ、家でヤギを飼っていた。乳を搾るのが大事な目的だから、雌と決まっている。おとなしいので世話をするのは、主に子どもの役目だった。
子ヤギが生まれると乳離れするまで、母親と一緒にさせておく。大きな乳房に頭をこすりつけて吸いついたり、跳びはねて遊んだりするしぐさのかわいいことといったらない。
ヤギを飼う目的のもう一つは、土手などに茂る草を食べさせることだった。草刈りを手伝ってもらうのだ。朝早く母さんヤギの首に縄を掛け、連れていく。子ヤギも喜んでついてくる。そして自分で草を食べることを覚える。
2、3カ月後、家畜商に買い取ってもらう。見送るのがつらかった。それこそ「めえめえ」鳴きながら引き立てられていった光景が目に浮かぶ。
確かに子ヤギは、犬や猫のように人にも懐いて甘える。「めえめえ児山羊」を作詞した藤森秀夫に飼育の経験があるかは分からない。けれども子ヤギのお茶目な性質を、よく知っていたのだと思う。
2番以降はこう続く。
めえめえ 森の児山羊
児山羊走れば 株つにあたる
あたりゃ頭(あんま)が あ痛い
そこで児山羊は めえと鳴く
藪こあたれは 腹こがちくり
朽木(とっこ)あたれば 頸こが折れる
折れりゃ児山羊は めえと鳴く

ドイツ語教師で詩人の藤森は、1894(明治27)年3月1日、南安曇郡豊科町(現安曇野市)新田の医師、藤森与八郎の長男に生まれた。そのころ与八郎は北安曇郡池田町で医療に携わっていたので、6歳まで池田で過ごし、豊科に引っ越している。
旧制松本中学(現松本深志高)から一高、東大文学部へ進み、独文科を卒業する。ドイツ文学者として熊本、富山などの旧制高校、東京、金沢の大学で教壇に立つ傍ら現代詩、民謡、童謡の作品を数多く発表。広く一般に親しまれた。
出身地の豊科に「めえめえ児山羊」の碑があると聞き、安曇野の田園風景を思い浮かべながら出掛けた。ちょうど子ヤギの育つシーズンでもある。どこかで跳びはねているかも、と淡い期待がないでもない。

そんな虫の良い場面に出合うことなく、豊科近代美術館に着く。かつて中学校があったところで、その庭の隅に大きな碑がどっしり座っていた。歌詞には「あんま」「かぶつ」など幼児語や方言が巧みに散りばめられている。
辺りを見回せば、まだ雪の輝く常念岳(2857㍍)がまぶしい。めえめえ鳴き声が聞こえてきそうだった。
【本居長世】大正・昭和の作曲家。東京音楽学校を卒業、童謡の作曲と普及に打ち込む。代表作に「赤い靴」「青い目の人形」など。江戸時代の国学者本居宣長の6代目子孫。
(2015年6月6日号掲載)
=写真上=佐久市内で
=写真下=常念岳を見上げる安曇野