
親善公演で海外に出掛けたのは1974(昭和49)年のインドが初めてでした。若宗家が団長で、地謡、笛や鼓の囃子方(はやしかた)など総勢20数人でした。装束や小道具類なども一緒に持っていきました。
ボンベイ(現在のムンバイ)の空港に着いた時、強烈なスパイスのにおいに驚きましたね。2月ごろのことで、インドでは一番気候のいい時でした。
一行は30代が多かったので、出迎えた若い大使館の人たちが「いつも年寄りばかり来るのに、こんなに若い人が多いのは初めてだ」と喜んで、いろいろ話をしたり、普段は行けない裏町を案内してくれたりしました。首都のデリーに仮設舞台が造られ、「羽衣」と「綾鼓(あやのつづみ)」の能2番を3回ほど演じました。
タイへも出掛ける
会場は毎回千人近くの観客で埋まりました。富裕層の人たちが多かったですね。私は地謡をやりました。海外公演の一員に選ばれたことがうれしかったし、観光で訪ねた白亜のシンメトリーが見事なタージマハルが素晴らしくて今も忘れられません。
インド公演の後、能仲間の4人で今度はタイ公演を企画し、資金を調達して、やはり20数人で出掛けました。バンコクの国立大学で「羽衣」を演じ、王室の人たちも見に来ました。無事に公演を終え、タイ北部のチェンマイを観光しました。
...ここで能とは何かについて、少しお話ししたいと思います。能のルーツになったものは中国から伝わり、今から6百年以上前の室町時代に観阿弥、世阿弥の父子によって「猿楽(さるがく)」から現在の能の形ができ上がったと言われています。観世、宝生、金春(こんぱる)、金剛の四つの流儀は当時からあり、江戸時代に喜多流が新たに加わりました。特に観世流は商人の間で、宝生流は武士の間で広まったそうです。
能と言われる曲は全部で200を超えますが、私がやる宝生流は180曲ほど。五番立てと言って、神を主人公とする脇能、武将が主人公の修羅(しゅら)能、女性の鬘物(かずらもの)、人間味あふれる雑能、鬼や竜神が主人公の切能(きりのう)の五つに大別されます。
結婚式の披露宴でよく耳にする「高砂」は脇能に属します。織田信長が好んだ有名な「人間50年、下天の内をくらぶれば‥」を能だと思っている人が多いですが、あれは能ではありません。幸若舞(こうわかまい)という曲舞(くせまい)の一種です。
鏡の間で精神統一
演者は主役をシテ、脇役をワキ、ツレ。子役を子方(こかた)、能の中で演じる狂言をアイと呼びます。ほかに8人でストーリーを謡う地謡と、笛・鼓・太鼓の囃子方、補佐役の後見(こうけん)が舞台に上がります。
舞台は三間(約6メートル)四方のヒノキ張りの本舞台と舞台正面に老松の絵が描かれた鏡板、本舞台左側に「橋掛かり」と呼ばれる渡り廊下と3本の若松が植わっているのが特徴です。演者は橋掛かりを歩いて本舞台に上がりますが、橋掛かりと5色の揚げ幕で区切られた「鏡の間」で装束や面を着けます。これから舞台に出ようとする演者は皆同じでしょうが、私はここで精神を統一し自分の役になりきって、出番を待つことにしています。
(聞き書き・船崎邦洋)
(2015年7月25日号掲載)
=写真=インドで訪れたタージマハルで