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087 浅間山大噴火 ~恐怖の音が遠く伊勢湾越え~

 八洲国(やしまぐに) 響きとよもす 迦具土(かぐつち)の 神のあらびは 畏(かしこ)きろかも
     本居宣長

          ◇

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 江戸時代の国学者本居宣長を知らなくても、次の歌には聞き覚えのある人が多いのではないだろうか。

敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山桜花

 「敷島の」は大和にかかる枕詞。大和心とは何か問われれば、こう答える。朝の太陽に照り映え、清らかに咲く山桜の花のようなものだ、と。古代人の心に大和魂の根源を求めた宣長の思想を象徴する。

 伊勢国松阪、今の三重県で医師の傍ら、古事記や源氏物語などの研究に打ち込んだ。例えば古事記の注釈書「古事記伝」44巻は、30年余り心血を注いだ大事業だ。今なお古代研究の拠りどころとして欠かせない。

 冒頭の1首はその宣長が、1783(天明3)年の浅間山大噴火の際、繰り返し鳴動を耳にして詠んだ。難しい古語を多用しているのでとっつきにくいけれど、一つ一つ意味が分かれば、理解は早い。

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 「八洲国」は日本のこと。「とよもす」は鳴り響かせる。「迦具土の神」は火の神のことで古事記にも登場する。「あらび」は荒れ狂うこと。「畏き」は恐ろしい。「ろかも」は、感動表現の「ろ」に文末の「かも」が加わり、「...ことだなあ」となる。
〈日本中に大きな音を鳴り響かせる火の神の荒れ狂う様は、何とも恐ろしいことだなあ〉

 ところで浅間山と伊勢松阪は、直線でも300キロ近く離れている。現代より騒音はずっと少ないとはいえ、本当に聞こえたのだろうか。疑問でならなかった。

 なるほど、そういうことかと納得できたのが、気象研究家根本順吉さんの一文だ。昭和50年代のNHKラジオ番組「趣味の手帳」を本にした「江戸意外史」(文化出版局)の1章「宣長とお天気」である。

 それによると、宣長は「旧暦7月に入り近所の家で踏み臼をつくような音が、どんどんと響く」と日記に書いている。7日夜には戸障子が鳴り、眠れなかった。後になって信濃国浅間山の大焼け(噴火)だと知った驚きを記している。

 根本さんによれば「外聴域」という現象だ。火薬や火山による大音響は、伝わっていくうちに距離が遠くなり、聞こえなくなる。ところが、さらに先の外側に再び聞こえる地帯が、ドーナツ型に生じる。上空の温度の高い層に音波が反射し、戻ってくるからだ。宣長が聞いたのはこれだった。

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 このときは度重なる噴火で日照不足まで加わり、天明の大飢饉へとつながる。7月8日には上州側で泥流が村々を襲い、鎌原宿では住民570人のうち、高台の観音堂へ50段の石段を駆け逃げた93人のみが助かった。

 空前の天変地異を31文字で確かな記憶にとどめている。人知の及ばぬ自然の猛威が、当代きっての学者の学識と感性でとらえられた。

 〔国学〕中国の書物に範を仰ぐ漢学に対し、古事記、万葉集など日本古来の精神に重きを置く学問。江戸時代に荷田春満(にかだのあずままろ)・賀茂真淵・本居宣長・平田篤胤とその門下が体系化した。

=写真1=小諸側からの浅間山
=写真2=生死を分けた鎌原宿の観音堂
 
愛と感動の信濃路詩紀行