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11 「道成寺」のシテ 「登竜門」挑む喜び 無心になり謡い舞う

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 「道成寺(どうじょうじ)」のシテ(主役)は「能楽師の登竜門」と言われています。その理由について触れる前に、簡単に「道成寺」の粗筋をお話しします。

 この能は、釣り鐘に隠れた男を恋する女の執念が大蛇と化して、鐘もろともに焼き殺すという和歌山県の道成寺に伝わる安珍清姫伝説を基にしています。

 ストーリーはその伝説の後日譚として、再び釣り鐘を造り、その供養の日に白拍子(しらびょうし=女芸人)が現れて舞っていると、鐘が落ち、女は鐘の中に隠れる。やがて蛇体となった鬼女が鐘の中から現れ挑みかかるが、僧たちの懸命の祈りで己の吐いた炎に包まれ日高川に消えていく―。能の中では異色のドラマチックな大曲です。

1年かけて練習
 前シテ(前場の主役)の白拍子と後シテの鬼女を1人で演じるわけですが、小鼓の音と凄まじい気迫のある掛け声で舞う「乱拍子(らんびょうし)」、速いテンポで舞う「急ノ舞」、舞いながら隙を見て鐘に飛び込む「鐘入り」、鐘の中で1人で着替える変身など、見どころがいっぱいです。

 油断すれば、天井から落ちてくる巨大な鐘でけがをするかもしれません。ピンと張り詰めた緊張感の中、演者は至るところで高度な技術と集中力が求められます。まさにこれが能楽師の登竜門と言われる理由なのでしょう。

 その年に出演する曲目、役どころは1年前に家元が決めて発表します。1980(昭和55)年、東京・水道橋の宝生能楽堂の掲示板に「道成寺」のシテとして私の名前が載った時は「よし!」と天にも昇る喜びでした。できるかできないか不安もありましたが、いざ決まると、緊張と期待が入り交じり家族にいち早く知らせました。お弟子さんたちにも伝えて観客の動員をお願いしました。

 また、体力作りと健康管理に気をつけ、1年をかけて練習に励みました。まず足腰を鍛えるため、稽古に行くにも階段を駆け上がったり駆け降りたり、電車ではなるべく腰掛けないようにしました。おかげで太ももや腰に筋肉が付いて、たくましくなりました。

 翌81年5月の公演の日、宝生能楽堂に須坂、長野など北信地区からバス3台を連ね、4時間ほどかけて約150人が見に来てくれました。バスの中では幹事さんから「道成寺」の解説や能を見る時のマナーなどの説明があったそうです。

やり遂げた満足感
 会場は補助いすまで出すほど、立すいの余地もなく満員になりました。これを見た能楽師の先生たちが「きょうはお客さんがよく入っている」と感心していました。

 期待に応えるため無心になって謡い、舞って舞台を務めました。最も難しい鐘入りがうまくいった時、大きな拍手が聞こえました。真っ暗な狭い鐘の中で、1人で素早く蛇の姿に着替え、後半の蛇の役を演じ切り、橋掛かりを走り込んで舞台を去った瞬間、やり遂げた満足感は表現しがたいものでした。また、疲れて半ば放心状態だったことを覚えています。

 舞台の後、長野の方々にお礼を言い、東京の方々にはパレスホテルで開かれたパーティーでごあいさつしましたが、しばらくは興奮が冷めやらず膝ががくがくと笑っていました。
(聞き書き・船崎邦洋)
(2015年8月8日号掲載)

=写真=「道成寺」のシテを演じる

 
中村孝太郎さん